社会福祉士の苦悩~デマンドとニーズのジレンマについて

社会福祉士の苦悩~デマンドとニーズのジレンマについて

相談支援の現場において、「デマンド」と「ニーズ」は、必ずしも一致しない

テレビコマーシャルで「オンデマンド」という言葉を聞いたコトはないでしょうか? 直訳すると「要望に応じて」となります。

「デマンド」は直訳すると「需要・要望・要求」ですが、障害者ケアマネの間で用いられる意味としては、「相談者の主観的な要望あるいは要求」といった解釈となります。

一方、「ニーズ」は直訳すると「必要・要求」となり、デマンドと混同しがちですが、似て非なるのは客観性が伴うかどうかです。

障害福祉における「ニーズ」は「客観的に考えて、そのヒトの生活全般で解決すべきと思われる課題」と解釈されます。

デマンドとニーズがピッタリ一致していれば良いのですが、必ずしもすべて一致するハズもありません。支援困難ケースの困難さは、そのほとんどがデマンドとニーズの乖離によって起こります。

かつて僕が担当した困難ケースに、ある30代の男性相談者がいました。

彼はIQ30以下、成年後見制度の利用申請をした際、家庭裁判所から鑑定書無用で後見相当の審判が即決した重度の知的障害者でした。

彼の主訴は「ボク、なにもしたくないもん。お母さんに甘えて、家でゴロゴロして、プロ野球のテレビ観ていたい。作業所で仕事するなんてヤダ。グループホームで暮らすのもヤダ」。

これが幼児の話なら「それもそうだね」となりますが、30代の成人男性となれば話は別。

この青年の主訴は「デマンド」であり、「ニーズ」は彼の要望と正反対のところにありました。

彼の社会的自立を促し、一般就労や独居生活が厳しいのであれば、日中活動は就労継続支援B型などの福祉的就労、居住については共同生活援助(グループホーム)を利用してもらう。

それもムリなら、施設入所で生活すべてを支援してもらうしかない。

このように、両親が老いたり亡くなったりした後も彼が安心して暮らしていけるよう、彼の潜在能力をいかに引き出し、元気で明るく毎日を過ごせるコトが「ニーズ」となります。

ですが、この青年は最後まで「デマンド」を脱却できないまま、結局はわがマチから数百キロも離れた障害者支援施設への入所となりました。

それまでの成育歴で数々の課題を抱えていた彼は、グループホームや福祉就労所での生活がイヤになっては何度も行方不明になり、最後には実家に居座ってしまう。

両親も披露困憊で「ゼロさん、ホントにもう何とかしてくれ」と限界に。

遠隔地への施設入所は、われわれ支援者が数年間にわたり八方手を尽くした上で「万策尽きた」とばかりに下した、苦渋の選択でした。

 

「私、アイドルになりたい!」と言われたら

われわれ障害者ケアマネに求められるのは、支援課題の明確化と課題解決のための具体的な支援策の提案と実現であります。

相談者が望む生き方や生活のあり方の多くは「デマンド」であり、それが「ニーズ」寄りである場合もあれば、上記の彼のように、まるでかけ離れている場合もあります。

とはいえ、われわれ障害者ケアマネは相談者の人生すべてに寄り添うべき存在であり、できるならば本人の望む生き方を実現してもらいたいと切に願うワケであります。

「デマンド」と「ニーズ」、これら2つが完全に合致しているコトが理想であり最良なのですが、不一致な部分にいかに折り合いをつけるかがいつも悩むところであります。

障害福祉サービス等利用計画様式には、「利用者及びその家族の生活に対する意向」という記載欄があり、本人が望む生活について明記する個所があります。

仮に相談者が「私、アイドルになりたい!」と主張した時、担当の障害者ケアマネは相談者がアイドルになれるためのプランニングをするコトになるのでしょうか?

もしそうするのであれば、そのケアマネは相談者の主訴がニーズなのかデマンドなのか、よくよく検討した上で計画に落とすべきです。

つまり、「なぜそのヒトがアイドルになりたいのか?」という点を徹底的にアセスメントし、ニーズを明らかにしていくのです。

相談者は歌うコトや踊るコトが好きだからそのように言っているのか? それとも、憧れのアイドルを投影しているだけなのか?

誰かがそのように話していたコトを、意味も理解せずに繰り返しているだけなら、これを反響言語(エコラリア)といいます。

「そうですか、アイドルになりたいんですね? では…」と、訴えをそのまま計画に落とすケアマネはいないでしょうが、ニーズの明確化というプロセスは絶対に必要であります。

 

相談者が望む「そのヒトらしい」人生に寄り添うために

「アイドル? 憧れるのは判りますけど、アイドルになれるワケないでしょ?」と一方的に却下するのも障害者ケアマネとしてどうかと思います。

アイドルになりたい理由が、「好きな芸能人の曲を歌ったり踊ったりするコトが好きだから」という自己実現欲求に基づくものであれば、それを満たす手段はいくらでも考えられます。

たとえば、余暇活動で好きなアイドルの歌やダンスを披露する機会を設けて、本人も家族も仲間にも喜んでもらう。

その実現に向けて計画に落とし込むのが、本来のあるべきケアマネの思考論理です。

以前、「車イスで行ける床屋がないか担当ケアマネに相談したら、介護保険のサービスの話じゃないから判らない、自分で調べろと言われた」と問い合わせがあったコトがありました。

ここ数年のケアマネ界隈では、増大する介護報酬の抑制策として、ケアプラン作成をAI(人工知能)で代用する話が上がっています。

単にパズルのように当てはめるだけのケアプランに甘んじていれば、いずれ自分たちの仕事がAIに取って代わられるのも時間の問題でしょう。

話を戻しますが、エコラリアであれば話は別になってきますが、上記の理由でアイドルになりたいとデマンドを主張したのであれば、そのヒトにとってのニーズは、

「好きなアイドルの歌を歌ったり踊ったりして、それをみんなに披露したい」

となります。

ならば、障害者ケアマネとしては計画の中に余暇活動の一環として、「歌やダンス、趣味や表現の場所を求める」という支援方針を打ち出し、そのための支援のあり方を模索するコトになります。

既存の支援がなければインフォーマルについて検討する。ないサービスは作り出す。

高齢者福祉におけるケアマネジメントとの大きな違いが、ココにあります。

「余生を安心・安楽に過ごしていただく」が高齢者向けケアプランの根幹です。しかしながら、「今この瞬間を生きる」障害者の相談支援では、既存の障害福祉サービスだけに留まりません。

すなわち、そのヒトらしい生活を実現するためには、公的なサービス以外のインフォーマル支援についても検討する必要があるのです。

正直なところ、まったく報酬が発生しない支援ですが、今後の生き残り戦略をかけるなら、それもまた先見の明に基づいた先行投資といえます。

僕も担当の相談者のニーズに応じて日曜日の昼間、当事者が集まる余暇活動や各種スポーツの参加ができるよう計画します。

そして僕も一緒に参加し、みんなで楽しいひとときを過ごすコトにしています。