社会福祉士の苦悩~障害福祉における愚行権の行使について

社会福祉士の苦悩~障害福祉における愚行権の行使について

成年後見制度と愚行権

判断能力に課題を抱える知的障害者や精神障害者が地域で安心して暮らせるためのサービスやサポートのあり方は、何も医療ケアや福祉的支援だけに限ったものではありません。

以上のことがらを、自己判断で取捨選択し、自己決定した上で利用するコトができない人たちのために、身上監護や財産管理の支援を行う制度が成年後見制度です。

身上監護とは、後見人が被後見人の生活・医療・介護等に関する契約や手続きを行うことで、財産管理は金品や不動産の管理だけでなく、本人の収支管理や遺産相続の手続きと多岐にわたります。

障害者ケアマネの仕事をする中で、担当ケースを通じて弁護士や司法書士と関わる機会に恵まれ、成年後見制度の利用から司法関係者の仕事を知るコトができました。

また、触法者の支援を通じて、刑事訴訟法についても学ばせていただきました。

こうして、福祉支援者と関わっているだけでは知り得なかった様々な知識を得るコトができたワケですが、ある司法書士から教わった「愚行権」の行使について悩むコトに。

 

ヒトは誰もが愚行権が認められ、それを行使している

愚行権とは、文字どおり「愚かなコトを行う権利」であります。

つまり、公序良俗に反しない限り、ハタからみれば「そんなバカなコトやって楽しいの?」といった行為であっても、それは権利として認められるというコトであります。

ヒトに迷惑をかけたり、法に抵触したりするようなコトがなければ、どんなバカバカしいコトであっても自由にやれる。そういう意味で、愚行権に該当する行為というのは世の中に無数に存在するものです。

愚行権の対象となり得るのは、公営ギャンブル、アルコール、タバコあたりが挙げられます。本人が合法的に他人に迷惑をかけない範囲で行使するのであれば、咎められるコトはありません。

また、愚行権は娯楽だけではありません。分不相応な高額の買物も愚行権の1つといえるでしょう。

廉価版で充分使える以上のステイタスを求め、そのために長期ローンを組む。それでも本人が高い満足を得ているのであれば、それもまた愚行権の行使といえるでしょう。

その意味では、僕も愚行権を行使している1人でした。ギャンブルやタバコは一切やりませんが、かつて100万円以上の大金をオーディオに注ぎ込んでいましたので。

あるいは、治療を拒否し、苦痛を堪えながら一生を終える生き方もまた愚行権の1つといえるでしょう。治療は権利であって義務ではありません(ただし、雇用契約を締結している場合は例外)。

極端な話、「病院には絶対に行かん!」と治療を拒むのも本人の自由であります。

 

その愚行権の行使は豊かな人生を送るためのものか?

ここまでは原則論でして、悩ましいのは「成年後見制度における被後見人の愚行権の行使は、被後見人が幸せで豊かな人生を送るためのものでなければならない」というコトであります。

いくら被後見人が「そのために一生懸命マジメに働いてるんだ」というくらいギャンブル好きだったとしても、預貯金を使い果たすまで認めても良いのかという話です。

すなわち、愚行権は常識の範囲内で、人生のバランスを考慮した上で行使されるべきなのです。

僕がかつて担当していた、知的障害がある20代女性に女性の職業後見人を担当してもらうコトにし、本人も初対面で気に入って全権を委任するコトになったエピソードは以前のブログで綴りました。

そのセンセイの考え方が、僕の憂鬱を晴れやかなものにするヒントになりました。キーワードは、被後見人にとって「豊かな人生」になるためのお金の使い方をしてほしいというものであります。

そのセンセイの判断は、課金制のゲームをケータイでプレイし、毎月数万円の出費をするのは「豊かな人生になるためのお金の使い方ではない」というものでした。

そこで、ケータイで課金ゲームをするのは禁止。本人も承諾しました。

一方、その女性相談者はジャニーズ所属のタレントグループの熱烈なファン。抽選でコンサートのチケットが当選したコトが数回ありました。

その結果、「毎日お仕事を頑張っているのだから、楽しんできてください」と購入OK。

コンサートの会場は遠方だったので、コンサート来場までの移動はホームヘルパーが同行する移動支援を利用。2人分のチケットとヘルパーの交通費を負担し、最高の一夜を楽しんできました。

 

正しい愚行権の行使について苦悩を続ける日々

法制度では「障害者の自立」という文言が多数出てきます。

しかしながら、障害者だけが品行方正な自立した生活をしなければならないのでしょうか? 時にはハメを外しておカネを使ったり、たまにはルーズな生き方をしてもいいじゃないかと。

正直なところ、相談者が正しく愚行権を行使しているかどうかについては、本人も第三者も主観的な判断によるところが大きく、誰かの意見が絶対正しいとはいえないケースも少なくないと思います。

だからこそ苦悩します。この仕事をしていると、日々疑問に思うコトが実に多いのです。

このおカネの使い方は、本当に被後見人にとって豊かな人生のためなのか? 認めるべきか我慢してもらうべきか?

僕と担当相談者の考え方が一致しない場合は、特にこうしたジレンマに悩みます。この苦悩はいつまでも尽きるコトはありません。

そのためには、独断や偏見の一切を排除し、広い視野と多種多様な考え方に寛容であり続けられるよう、常に意識していなければなりません。

時には、デキる同業者や職業後見人の仕事を参考にしながら。

障害者ケアマネの仕事を続けていく限り、相談者が豊かで幸せな人生を送れるための愚行権の行使のあり方について、安易に答えを出すコトなく、最後まで悩み続けたいと思う次第であります。

なぜなら、ヒトの幸せのカタチは千差万別であり、愚行権の行使について苦悩し続けるコトこそが障害者ケアマネの宿命に違いないと考えるからです。