「福祉とは何か?」と問われ、社会福祉士はこう答えた

「福祉とは何か?」と問われ、社会福祉士はこう答えた

福祉とは「幸せ」のコトである

「社会福祉」とか「公共の福祉」など、誰もが一度は「福祉」という言葉を聞いたコトがあると思います。ほぼ100%の確率で。

しかしながら、福祉という言葉を前向きにとらえるヒトは少ないのではないでしょうか。

身内あるいは自身が高齢で介護が必要になるとか、事故やケガで働けなくなるなど、「生活に困ったらお世話になるもの」という後ろ向きの意味でとらえるヒトの方が圧倒的に多いと感じます。

あるヒトたちにいわせれば、福祉の仕事をする僕らのような人間は偽善者であるそうです。

大学時代、別な学部に所属する一部から、何度か陰口を叩かれたコトがありました。「ゼロは偽善者だ」と。

福祉という言葉に、偽善者という意味は含まれていません。生活に困っているヒトたちのために福祉が機能しているコトは間違いないですが、福祉という言葉の本来の意味は「幸せ」であります。

 

「福祉」を漢字の成り立ちから解析してみると

福祉を「福」と「祉」に分けて解析してみるコトにしましょう。

まずは「福」ですが、神に生贄を捧げる台の象形(しめすへん)と、神に捧げる酒の樽の象形の組み合わせで構成されています。神に酒を捧げ、幸せになるコトを祈る様子から生まれた漢字です。

次に「祉」ですが、福と同じく「しめすへん」と、立ち止まる足の象形で構成されています。「神にとどまる所」という意味から幸せを象徴する漢字として生まれました。

「福」はともかく「祉」は特殊です。この漢字が単独で用いられるコトはありませんし、「福祉」以外で使われているのを見たコトがありません。人名漢字で用いられるコトはあるようですが。

これらの解釈につきましては諸説あり、「福」は神に捧げる酒、すなわち「めでたきモノ」、「祉」は「長く留める」、そこから転じて「しあわせ」と解釈する考え方もあるそうです。

これらの解釈は僕が転職を繰り返してきた中で受講してきた数々の講義や講演で学んだもので、僕のオリジナルではありません。

今のようにネット全盛の時代ではなく、調べ物といえば辞書を開くというのが僕らの年代でしたから、当時の僕も「福祉」をそれぞれの単漢字として調べたコトがありました。

どの辞書でも同じだと思うのですが、僕の手持ちの国語辞典にも漢和辞典にも、「福」と「祉」、どちらの意味もハッキリ「しあわせ」と明記されておりました。

つまり、「福祉」とは「幸せ」であり、それこそキレイゴトと嘲笑されるかも知れませんが、われわれ福祉職はサービス利用者やその家族の幸せを追求する宿命にあります。

 

独りよがりな偽善か、正しき道を行く信念か

福祉の仕事をするヒトたちが、一部のヒトたちから「偽善者」扱いされるのも理解できなくはないところがあります。

僕も陥っているかも知れないと自戒するところですが、「私たちのやってるコトこそ正しいの」と、独断と偏見に満ちた閉鎖的な思考論理のまま福祉の仕事を続けているヒトもゼロではない。

または、「偽善者」とまではいかなくても、自己満足の域を出ない仕事に留まるヒトは少なくないのかも知れません。

確かに福祉の仕事は、政治家や官僚、大企業の幹部などのように、「世の中のカラクリ」を動かす側の仕事ではないし、不特定多数の国民を幸せにするほど壮大な仕事でもない。

とてもミニマムかつ限定的な、「誰かひとりのささやかな幸せ」を追求するために存在している職業であります。特に僕ら障害者ケアマネのような障害福祉の仕事に携わる支援者はみな同じです。

例えば「やっと独り暮らしができるね」とか、「1年間、頑張って福祉就労所に通えたね」といった、ほんのささやかな幸せです。

大多数のヒトたちにとっては「ごく当たり前の生活」ができるようになる。そのためのお手伝いをする。ただひとりのために支援者がチーム体制で個々の役割をこなしていく。そんな世界です。

偽善者だと揶揄するヒトたちに反論する気はありませんし、思想上の自由は誰にでも認められているものであります。思いたいように思えばイイ。

担当の相談者や家族、支援者や関係機関の皆さんにさえ認めてもらえたら、それで充分です。

 

行き着く先は「ほんの小さな幸せの実現のために」

僕は、「相談者にとっての幸せ」を追求するための仕事をするコトができているのか? その疑問だけはいつでもココロの奥底にあります。

ベテランと呼ばれる年代になってからなお、「ホントにこれで良かったのか?」とか「他に方法があったんじゃないか?」と悩むコトがあります。

そういう時に答えを求めるのは、相談者本人に対してであります。

担当の相談者が憂いや悩みをたたえた辛く哀しそうな表情を浮かべていないか? あまりジロジロ凝視しないよう気を付けながら、つねに相手の表情を注目しています。

「独り暮らし生活はどうですか?」「今月は休まずお仕事に通えていますね」

僕から近況を聞かれた時に、相談者の皆さんが嬉しそうな表情を浮かべたり、ニッコリ笑って答えてくれれば、障害者ケアマネとしての方向性が正しい道を向いていたのだと思えます。

相談者が笑顔を浮かべた瞬間は、僕の信念は決して偽善ではないと実感できる瞬間であります。そして、「やっぱり障害者ケアマネの仕事に戻ってきて良かったんだ」と心から思える瞬間でもあります。

僕以外の支援者も一様に同じようなコトを話しています。「周りからみたら、ほんのささやかな幸せでしかない。でも、それこそが本人にとっても家族にとっても私たちにとっても大きな幸せ」と。

たぶん、われわれ障害者ケアマネや障害福祉の支援者は、この笑顔が見たいがために日々の仕事に邁進しているのであろうと思わずにはいられないワケであります。