社会福祉士の心得~相談者と支援者の適切な距離感について
- 2018.12.04
- 社会福祉士

支援者もヒトの子、どうしても差はついてしまう?
再び障害福祉の業界に返り咲き、計画相談支援に特化した仕事に従事するようになってから2ヶ月が過ぎました。まさに光陰矢の如く、あっという間のできごとでした。
前職での相談支援専門員と違い、現在は個別支援が最優先となりましたが、正直なところ、ここまで個別支援に適性があるとは思っていませんでした。とにかく、今が楽しくて仕方がない。
今が楽しいといえば、独りケアマネという自由を謳歌しているのもそうですが、サービス等利用計画の作成を通じて担当ケースに寄り添うコトそのものが本当に有意義なのです。
手前味噌で恐縮ですが、過去の困難ケースの相談支援を通じて蓄積してきた経験と人脈を駆使し、障害福祉サービス提供事業所の現場スタッフが抱える憂いを解決するために寄与しています。
前職では個別相談支援の現場スタッフを支えるための仕事をしてきたのですが、だからといって全く現場に携わっていないワケではなく、計画相談支援を通じて担当の相談者が複数おりました。
広いようで狭いわがマチで障害福祉の業界にカムバックしたワケですから、当然、かつて僕が担当していたケースを何らかのカタチで支援する機会もキッチリ回ってくるワケであります。
その際、「あ、ゼロさん。戻ってきたって聞きました」と、喜んでいるのか別に何とも思っていないのか定かでないものの、新たに支援に加わる同業者に比べ、次への展開が早いのであります。
障害者ケアマネの仕事において、人脈は相談支援の成否を大きく左右する最重要事項のひとつであります。支援者間で面識があるのとないのでは受け入れに絶対的格差が生じるものであります。
いわゆる「一見さんお断り」的な対応をされずに済むというか、「まあ、ゼロさんからの頼みであれば…」と、本来であればNG案件が意外とスンナリ受け入れられるコトも往々にしてある。
もっとも、そこはお互い持ちつ持たれつの関係です。借りを作ってしまった以上、貸しを返すために、スケジュール的にキツくても、頼まれればムリをしてでも依頼をお受けするのですが。
相談者も同じで、初対面に「初めまして。ゼロと申します。今後ともよろしく」と一礼されるよりは、「やあ、久しぶり。またヨロシク」と顔馴染に相手される方が安心できるというものです。
「一見さん」より「お馴染み」の方が気安いのは、相談者も支援者も同じ
知っているからこそなおさら、というコトもありますが、われわれ障害者ケアマネもヒトの子ですから、相手がどのような相談者か判っていた方が仕事をしやすい。
そして、介護の仕事をしているヒトなら誰もが頷くところですが、日々の支援が困難だからこそ、その支援者にとって「特別な誰か」という利用者の1人や2人は必ずいるものであります。
ギャラをもらうプロの支援者たる者、分け隔てなく一律にサービスを提供しなければならないのは当然なのですが、内心、強く思い出に残るとか、思い入れが強くなる利用者は必ず出てきます。
それもまた知・情・意を備えた人間たる所以(ゆえん)なのでして、われわれ支援者も利用者と同じ人間である以上、誰かに思い入れをするコトは決して否定されるものではありません。
内心でどう思おうが、思念の世界では扱いが不平等であろうと問題はありません。現実世界で、すべての利用者に対して分け隔てなくベストを尽くせば良い話なのですから。
とはいえ、ホンネとタテマエを100%使い分けられるヒトなどほとんどいません。だからこそ、複数の利用者を支援する障害者ケアマネはみな「思い入れの違い」をどう扱うか問われるのです。
同じヒトとの長い付き合いの極意は「絶妙な距離感」
よほどの信頼関係で結びついた組織体でもない限り、「あのヒトはいつも優遇されてる」「あの上司、あのコにだけ挨拶してムカつく」といったグチ話は飛び交うものであります。
それが僻みなのか客観的事実なのかはさておき、支援者間においても扱いが違うというコトは往々にしてあるものです。
一方、上司からすれば、部下の扱いが違うとのグチ話に対し、そんなコトはないと否定する方もいれば、「贔屓はしてない。ただ、それだけ期待をかけてる」と堂々と宣言する方もいるでしょう。
われわれ障害者ケアマネに限らず、すべての支援者は、自らのスタンスをハッキリさせておかなければなりません。あらぬ不平不満を持たれ、利用者との信頼関係を損なうおそれがあるからです。
「イヤイヤ、そんなとこまで見てないでしょ」と軽口を叩くヒトもいないワケではないですが、支援者が利用者を注視していると同時に、利用者も支援者をよく観ています。
「相手をみて贔屓はしない。間違ってるコトは間違ってるとハッキリいわせてもらう」「贔屓してるように見えるのは、ちゃんと理由がある。納得いかないなら、その理由をきちんと説明する」
いずれにせよ、弁解や釈明ではなく、納得が得られる合理的根拠と信念を持っているべきです。
「じゃあゼロはどうなんだ?」と問われれば、「相談者から親しみを持たれるのはとても良いコトですが、適度な距離感を意識しながら相談支援します」と答えます。
ココロにもないキレイゴトのように思われますが、これは紛れもないホンネであります。
そう思う理由は僕が聖人君子ではなく、煩悩と本能と感情に振り回される俗物だからです。
個別支援に入れ込み過ぎるコトへの疑念
親戚縁者すべて丸わかりの辺境地でもない限り、10年近くも相談支援の仕事をしていれば、それこそ数百人単位での相談者と出会いと別れを繰り返すコトになります。
その中で思い出に強く残るのは支援困難ケースでして、支援困難になる原因というのは障害の軽重ではなく、家庭環境にその大部分が起因しているコトを痛感します。
「今の生活がうまくいってないのは障害のせいだ」との訴えは決して正しいものではない。どんなに障害が重かったとしても、それが障害者の人生を絶対的に支配するものではないと断言します。
実際に、それを裏付けるケースをこの目で数多く見てきた経験から自信を持って断言できます。
だからこそ、障害の有無や家庭環境に拘わらず、まっとうに人生を歩んでいる相談者に対する思い入れは当然、強くなるのです。報酬にならないインフォーマルに踏み込むコトにも不満は感じない。
ですが、そうした行動が、然るべき報酬と引き換えに相談支援のプロとして行う業務をキレイゴトのボランティアで片づけられてしまう危険性も孕んでいるコトにも配慮しなければなりません。
アメリカの人気テレビドラマ「CSIニューヨーク」で、ニューヨーク市警が給料未払いに対するストライキを断行した際、「仕事は仕事」と現場に立つ人もいれば、ストライキに同意した人もいました。
自宅に閉じこもる登場人物に、差し入れを届ける口実で自宅を訪れた別な登場人物が公然と非難するシーンがありました。しかしながら、僕としてはどちらの言い分も正しいと思っています。
ここで非難されるべきは警官たちへの給料未払いの元凶となった汚職政治家たちニューヨーク市そのものであり、ストライキの是非と問わず警察官たちに責任はないのです。
僕が同じ立場であれば、憤懣やるかたない思いを噛み殺しながらも現場に立ったコトでしょう。
大切なのは「距離そのもの」ではなく、利用者と支援者の心のつながり
相談者と支援者は、つねに然るべき距離を空けるべきですが、その距離感はケースバイケース。利用者と支援者との信頼関係によって様々であり、杓子定規に決まるモノではありません。
僕は良くも悪くも相談者に対する思い入れが強くなるタチなので、あえて一定の距離を空けるように戒めています。でなければ、必要以上に踏み込んでしまうからです。
あるいは、その逆も。
大切なのは適切な距離感を維持するコトであり、肝心カナメなのは利用者と支援者の信頼関係が構築できているか否かです。互いの距離感を杓子定規で決められないのは、そのためです。
したがって、利用者から「このヒトに支援してもらいたい」とか、「ずっとこのヒトに担当してもらいたい」と、愛され、慕われ、信頼される支援者であり続けるコトができるか否か?
われわれ支援者が自問自答し続けるべきは、その一点のみであります。
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