癒しも救いも楽しみも、すべては活字の世界の中に

癒しも救いも楽しみも、すべては活字の世界の中に

「そうか、生きててイイんだ」少年時代の僕を救ってくれた一冊

今でこそ、こうして挫折と失敗を繰り返しながらも、ふてぶてしく我が人生を謳歌している僕ですが、若かりし頃は劣等感のカタマリでした。

「親も教師も、この苦しみを誰も判っちゃくれない」。今でこそ笑ってしまうコドモの言い草ですが、当時は真剣でした。脆くて弱く、それでいて斜に構えて世の中をマイナスでしか見られない、そんな10代でした。

そんな当時の僕にとってココロの支えとなったのはヒトではなく活字、特に遠藤周作先生のエッセイの数々でした。

遠藤先生といえば純文学の大家ですが、「狐狸庵」のニックネームが示唆するように、ユーモラスなエッセイの名手でもあります。高校時代、行きつけの書店で何気なく手に取った遠藤先生のエッセイが、後の僕の救いの一冊になるのでした。

ほどなく、次々に購入した遠藤先生のエッセイはどれもソフトな語り口で、年長者の立場でありながら決して驕るコトなく、まるで活字を通じて僕たち若者に優しく語りかけてくるかのような筆致でした。

「何かにつけて〔オマエはダメだ〕って責めるばかりで、怒る以外に能がないのか? 僕だって必死に努力してる。でも結果が出ない。こんなに苦しんでるのに、そんな残酷な言葉しかかけられないのか?」

親や教師に対し、今にして思えば理不尽な憎しみすら抱いていた当時の僕の荒み切ったココロを癒し、静め、安らぎを与えてくれたのが遠藤先生のエッセイだったのです。

もう20年以上も昔の話なので、正直なところエッセイの詳細はほとんど覚えていないのですが、論旨は終始一貫、「君はダメじゃない。たとえ弱くてダメだと思っても、生きてるだけでリッパだよ」といった内容だったコトだけは良く覚えています。

遠藤先生は若き僕に対して、ページを開くたびに活字を通して優しく語りかけてくれました。同時に、「君、1つの思想に凝り固まってはダメだよ。自分と違う考えを批判する前に、もっとよく勉強して」とも嗜めてくれたものでした。

 

購入して20年以上~恐らく、一生手放さないであろう一冊

大学時代も本の虫で、勉強の本はサッパリでしたが小説だけは思う存分買い漁っては乱読しておりました。小説やエッセイなどの活字がスキで、就職後も近隣の図書館めぐりをしては面白そうな小説を探し、最盛期で年間100冊くらいは読んでいたと思います。

その中で、すでにブックカバーはボロボロに擦り切れて使いものにならず、ページの縁はセピア色に色褪せてしまった一冊の小説があります。海音寺潮五郎先生が春秋戦国時代の2人の軍事的天才「孫武」と「孫臏」を主人公に描いた小説「孫子」です。

 孫子の兵法」と聞けば誰もが知っているであろう人物で、われわれの実生活においてもフツウに使われることわざとして馴染みがあると思います。

武田信玄の「風林火山」も、元はといえば孫子の兵法の引用であり、孫子の思想は現代の戦いともいえるビジネスシーンでも好んで引用されます。

僕が惹かれたのは、物語の面白さは当然として、それ以上に海音寺先生独自の視点による独自の人物像や人間模様を描写している点でした。後の僕の人生観に多大な影響を及ぼした名作をこれまで何度、読み返したコトか。

古代の戦国時代を題材にした小説は多数あり、孫武が天下の覇権を得んとして戦乱の世を生きる武将とともに軍師として華々しい戦果を上げていくストーリー展開は同じですが、結果に至るまでの登場人物の微妙な心理描写や国家間の駆け引きの機微については作家の技量によります。

海音寺先生もまた遠藤先生と同じ「柔よく剛を制する」思想をお持ちの作家で、天才的な軍事的思考論理は共通ですが、そこに隠者的性格という独自色を持たせました。出世に一切の興味はないが天才であるが故に見いだされ、望まぬ戦争に同行するコトになる。これまでにない孫武像です。

 

人間心理の機微も処世術も、みんな活字から学んだ

こうしてブログを綴る前、20代の若かりし頃は1年かけて長編小説を書いて投稿したり(もちろん一次選考も通過せずに落とされましたが)、誰に読ませるワケでもないエッセイを書いたり、好きな作家の筆致をマネて文章を書いたりと習作時代がありました。

当時は「不夜城」シリーズで濃密なウソと危険な香りが漂うオトナの犯罪小説を次々に世に送り出していた馳星周先生の文体に憧れてはマネをし、「ニューロマンサー」をはじめとしたサイバーパンク3部作を発表した作家の日本語訳をマネたり、小説を読む一方で執筆らしきコトもしていました。

ですが、マイブームを超越して、未だに僕の手元にある小説は海音寺先生の小説「孫子」のみです。そして、障害者ケアマネの仕事をする上で対人処理能力を高めるためのヒントを「孫子」から学びました。

例えば、登場人物の心理描写で「婉曲に伝えて判らないヒトには直接伝えても絶対に伝わらない」といった考え方がありますが、だからこそ直接的な物言いをせず、相手の理解を得られる微妙なニュアンスを考慮して慎重に伝えなければならないとの示唆があります。

また、登場人物が「相手から好意を得るには、相手の好むものを以て接せよ」といった発言をするシーンがあります。僕もそれに倣い、相手の好きなものが何か訊ね、室内にあるものから推測できる趣味について話題にします。まず間違いなく好感触を得られます。

少年時代は三国志が大好きで、漢王朝の復興を願い、清廉潔白な人格者として描かれる劉備や彼の義兄弟である関羽や張飛の超人的な活躍のとりこになったものでした。また、悪役の代名詞として描かれる曹操を筆頭に、魅力的な人物が多数登場します。

しかしながら、海音寺先生の「孫子」と出会ってからは好みが一転。春秋戦国時代を舞台にした小説の中から面白そうな作品ばかり探すようになり、国家間や武将間における心理戦や知恵比べに強く惹かれるようになりました。

僕の持論ですが、「映画を観るなら原作小説を先に読むな」と。「読むな」といっているのではなく、「映画を鑑賞した後に読んだ方がイイ」という話です。

映画版では時間的な制約やオトナの事情でカットされた物語の詳細が、ノベライズ版では余すところなく盛り込まれています。例えば、映画では触れられなかった登場人物のサイドストーリーや心理描写の詳細を読む愉しみを味わえるでしょう。

その上で映画をもういちど観賞し、小説版で描写されたシーンを見直すのもオツな愉しみ方ではないでしょうか。