社会福祉士の宿命~相談者の「突然の死」にどう向き合うか

社会福祉士の宿命~相談者の「突然の死」にどう向き合うか

突然訪れた、かつて担当していた相談者との永久の別れ

ヒトが社会生活を営む限り、どうしても避けて通れないのが、先立つ誰かを見送らねばならないという哀しい別れであります。忌まわしいものでありますが、生きとし生ける者すべてが向き合わねばならないのが「死」であります。

ヒトは誰もがいつかは寿命を迎えます。何のためにヒトは生きるのか? それは誰にも判らない哲学的命題です。しかしながら、天寿を全うするコトが、僕ら生者が果たさねばならない使命なのは間違いありません。

僕の母方の祖父はまさに天寿を全うし、安らかな顔で逝きました。善人に相応しい最期でした。初孫というコトでも最も愛された僕にとって祖父は親にも勝る最愛のヒトであり、荼毘に付される前夜、何度も「愛してくれてありがとう」と伝えたコトが忘れられません。

ところで、高齢者を担当する介護支援専門員(ケアマネジャー)は業務上、相談者を見送る機会が少なくありませんが、障害者ケアマネは対象年齢が障害児から65歳未満であるため、担当相談者の死に向き合う機会はそうそうありません。

10年以上勤めた前職で僕は、初回相談のみで終わった「いちげんさん」を含めれば約300名を超えるケースを担当してきました。その中でたった1人だけ、永久の別れを迎えるコトになった相談者がいました。

しかも、天寿を全うするのではなく、自らの手によって。

 

どんな支援もうまくいかない~試行錯誤と失敗を繰り返す日々

カケルくん(仮名)は当時20代前半、重度の知的障害がある野球好きの青年でした。理解力はかなり厳しいものがありましたが、自分の興味関心があるものに対する記憶力はズバ抜けており、甲子園の過去の対戦結果はおろか、それぞれの対戦チームの監督の名前まで覚えていました。

ところで、わがマチには障害者の一般就労に特化して相談支援を手がける支援機関が幾つかあるのですが、そのうちの1つから福祉的就労についての相談支援の引継を受けたのがカケルくんでした。

「父親と一緒にいきなり飛び込んできて、息子の就職先を見つけてくれと相談に来たが、よくよく話を聞くとハローワークで紹介されたらしくて…。とても一般就労はムリ。そこで、ゼロさんのところで…」

というワケで、カケルくんの福祉的就労を実現すべく、僕が相談支援を担当するコトになりました。

ところがカケルくん、僕らのもとへつながるまでの間、就労において数々の挫折と失敗を繰り返してきたのでした。最短では半日すら持たずに「もう帰る」と荷物をまとめて即日退職したコトも。

そこで最初の半年間は週1回で定期的に相談に来るという目標を立てて、必ずカケルくんに来所してもらうというところからスタートしたのです。

最初の数週間こそ落ち着きなかったものの、必ず週1回で僕のもとへ来所相談を続けていき、定期的に相談に来られるようになったカケルくん。半年が過ぎた頃、次の段階として地域活動支援センターの利用に向けてコーディネートするコトに。

僕らの業界では通称「地活」と呼ばれている地域活動支援センターは、働くことが困難な障害者の日中活動をサポートする福祉施設です。カケルくんには週5日ペースで通所してもらい、福祉的就労を目標にした日中活動に取り組んでもらいました。

ところが、順調だったのはここまでの話。カケルくんが本領を発揮できるのは就労継続支援B型事業所しかないと判断して紹介したのですが、順調に通えるのはほんの数ヶ月。最初は一生懸命作業に取り組むのですが、すぐにイヤになって家に閉じこもってしまう。

自宅に連絡しても電話に出てくれず、自宅を訪問しても出てきません。そして数週間後、父親にムリヤリ連れて来られては次の通所先を探すという繰り返しでした。長くても5ヶ月程度しか続きません。

そして数年後。7ヵ所目の福祉的就労がダメになった時点で大きく方針転換せざるを得なくなりました。仕事には行きたくない、といって家に居られない状況下に置かれたカケルくんが何度も行方不明になってしまったからです。

結局、カケルくんのメンタルは3歳児程度で止まったまま。内心は「ボク、仕事なんかしたくない。家にずっといてお母さんに甘えていたい。ずっと家でゴロゴロして、プロ野球や高校野球の試合を観て、たまにゲーセンに行って遊んでいたい」だったのでしょう。

ところが両親も高齢で、とっくに成人を迎えたカケルくんをいつまでも世話できる状況ではありませんでした。最期には母と息子どちらにもストレスが溜まり、しまいには母親と激しい口論を起こしたり家具を壊したりする始末。母親に手を上げるコトすらありました。

「家で引きこもっているとお父さんに怒られる、かといって仕事には行きたくない」と思ったのでしょう。カケルくんは家を出ては行方不明になり、捜索願を受けた警察に連れられて帰宅する繰り返し。実家から数キロ離れた公園で野宿するというのが彼の定番でした。

ついに業を煮やした父親からの強い要望を受け、カケルくんを保護してかかりつけの精神科病院へ直行。本人を保護するという名目で入院してもらうコトになったのです。

 

わがマチから遠く離れた障害者支援施設で過去の支援をリセット

支援者会議の結果、カケルくんにはわがマチから遠く離れた障害者支援施設に入所してもらい、そこで日中活動も日常生活もまとめて支援をしてもらう以外に方法はないという結論に達しました。

遠く離れた施設というのは、カケルくんは頑強な肉体を持ち、また土地勘にも優れているため、10キロ程度の近隣であれば徒歩で戻ってきてしまうおそれがありました。

実際、行きたくなくて仕方がなかった高等養護学校から何度も脱走したり、寄宿舎に戻る途中でバスから降りて祖母宅に逃げ込んでしまったコトから、毎週、父親が送迎していたというエピソードがあったのです。

また、わがマチの繁華街はカケルくんにとって数多くの誘惑があり、それで調子を崩してしまうコトが多々あったので、自然豊かな遠方の田舎にある施設に入所してもらい、支援者もすべて交代というオールリセットを図るコトに。

幸い、カケルくんを受け入れてくれる施設が見つかり、本人も入所するコトを承諾したので、病院から施設まで直行してもらう運びとなりました。

最初のうちは、施設入所を勧めても「絶対にイヤだ」と拒否していたのですが、福祉的就労をさせられる苦痛を味わうよりはマシだと思ったのでしょう。僕ら支援者としては、力及ばずで残念至極といった心境でした。

そして施設入所してから年に数回、カケルくんの近況報告や個別支援のアドバイスを求めるためにスタッフから電話がありました。

施設内でも日中活動が長続きせず、短期間では汗水流して一生懸命働くのですが、すぐイヤになって部屋に閉じこもってしまうとの報告を受けておりました。

確かにカケルくんのポテンシャルは高いものがある。僕らも思っていました。ところが、3歳児程度の幼いメンタルは20代後半になっても止まったままであり、その点を考慮し、軽作業を中心とした活動でお願いしますと伝えました。

ところが、それから数年後…。

僕が前職を辞める決意をする約3ヶ月前のコトでした。施設から僕宛てに電話があったのでした。「昨日の昼食後、カケルくんが部屋で…」

彼は、入所していた施設の自室で自ら命を絶ったのです。

 

どうしても解けない謎~なぜ、彼は自ら命を絶ったのか?

かつて担当していたケースとの永久の別れ。まったく想像もしていない事態でした。

施設からの電話も、またカケルくんが施設から脱走して行方不明になったとか、もうこれ以上うちの施設で面倒を看れなくなったとか、実家に帰省してから戻ってこないとか、そういった困りごとの連絡だと思ったのです。

重度の知的障害があり、過去には他害行為はあっても(母親への暴力)自傷行為や自殺企図など一度もなかったカケルくん。恐らく、自殺をするという概念すら思考する能力すら持ち得てなかったハズでした。

そのため、施設から連絡を受けた僕の中ではしばらくの間、驚きや哀しみよりも疑問符が浮かんだのでした。「あのカケルくんが自殺? どうして?」

それから1週間後、施設スタッフが挨拶に来られました。警察が現場検証をしたが事件性なしとのコトで自殺と断定されたコトや、両親の意向で葬儀は行わず荼毘に臥したのみで見送りができなかったコトの報告。

施設スタッフから質問がありました。「かつてゼロさんが担当していた時にカケルくんが自殺を仄めかすようなコトはありませんでしたか?」と。

過去5年にわたりカケルくんの支援をしてきた中で、一度もそのようなコトはなかったと返答したところ、「わがマチのかかりつけ病院ではそのような記録がなされていたと施設の看護師から聞いた」との話が。

そこで後刻、病院に確認したところ、主治医から「死にたい気持ちはある?」と聞かれたカケルくんが「死にたい気持ちはある」と返答した記録があるとのコト。

しかしながら、このやり取りは単なるエコラリア(聞かれたコトをオウム返しする言動)であり、理解力に乏しいカケルくんが相手の質問をそのまま繰り返すのは良くあるコトでした。

とはいえ、どうしてもカケルくんが自ら死を選んだコトだけは大きな謎として残ったままでした。真の答えは永久に見つかりません。当の本人が逝ってしまった後では過去の言動をもとに推論するしかありません。

カケルくんを支援してきたヒトたちは彼が福祉的就労に挫折した数だけいました。そこで最後の役割と思い、一連の顛末を僕からすべての支援者に報告するコトに。

その際、なぜ彼が自ら死を選んだのかについて、疑問として投げかけたところ、ある支援者から最も腑に落ちる推論が提示されました。

「それは多分ゼロさん、きっとカケルくんは入院したかったんじゃないですか?」と。

つまり、精神科病院の入院は痛い治療もなければ、日中活動を強要されるコトもない。一日中ゴロゴロしていられる。好きな時に好きなテレビを視聴でき、優しい看護師から優しい言葉をかけられてぬくぬくしていられる。

だから、自殺するフリをするコトによって精神科病院に入院させられる状況を作ろうとして、誤って命を落としてしまったのではないかと。つまりは不慮の事故ではないかというのが有力な推論でした。

 

もっと早いうちに支援を始めていたとしたら

カケルくんは、自ら命を絶つコトなど一切考えていなかった。何かのテレビ番組でそのようなシチュエーションを視聴したコトを想い出し、それと似たようなコトをしたら入院させてもらえると思ったが、加減を誤って不幸な事故を起こしてしまった。

もちろん、以上については「最有力と思われる推論」でしかなく、死の真相は永久に謎のままであります。そして、何をどう推論しようが、もうカケルくんは帰ってきません。

わがマチで暮らしていた間、家に閉じこもったり行方不明になったり、数々のトラブルを起こしながらも、何とも憎めない癒し系のキャラクターで、支援者だけでなく利用者からも愛されたカケルくん。

そんなカケルくんが福祉的支援を受けるのがもっと早い時期であったなら、カケルくん一家の現在も大きく違っていたのではないかと思われてなりません。

両親もできる限りの養育をしてきたコトは確かです。でも、カケルくんがそこまで高等養護学校に行くのがイヤでたまらなかったのなら、本人が望まない進学をさせるべきではなかった。彼の障害特性を考慮するなら、高等養護ではなく養護学校で手厚い支援を受けるべきでした。

責任転嫁するなというお叱りは甘んじて受けます。カケルくんの計画相談支援を担当していた障害者ケアマネとして、僕自身にも数々の悔いは残っています。

幼少時代の支援のあり方に疑念を抱くのはけっこうだが、そもそも僕ら福祉支援者の方針にも反省すべき点がなかったのか? いくら考えてもキリがありませんが、カケルくんの命日を振り返り、彼と過ごした日々を想い出しながらこのブログを綴っています。

カケルくんには天国で思う存分、大好きな野球を楽しんでもらいたい。今、彼のために思えるのはただそれだけであります。