愛着障害に苦しむ相談者にどう向き合っていくべきか

愛着障害に苦しむ相談者にどう向き合っていくべきか

障害者ケアマネとして相談支援を行っていく中で、相談者の数が増えていく中で必ずといって良いほど巡り合うのが、リストカットなどの自傷行為や過剰服薬が止められない相談者であります。

自殺企図や自傷他害のおそれが高い場合、医師の判断によって任意入院するなど精神科病院での治療対象となりますが、いわゆる統合失調症など精神障害者でない知的障害のヒトも中にはいます。

ところが、一概に自傷行為を繰り返すヒトのすべてが本気で自殺したいのかといえば決してそうではなく、本人が周りに発する声なき声、「間違ったカタチでのSOS」という問題行動が自分の意思では止められないケースもあるのです。

では、なぜこのような間違ったカタチでのSOSを発信してしまうのでしょうか? その根底にあるのが今回のテーマ、愛着障害の存在であります。

 

ヒトは、誰かに愛されなければ自分を愛するコトができない

愛着障害とは本人の苦しみの発露である

愛着障害とは、親による虐待やネグレクト(育児放棄)によって、本来受けるべき愛情を受けられないままオトナになった場合に起こる障害を総称したものであり、いわゆる3障害(身体障害・知的障害・精神障害)とは区別されます。

また、適切な環境下、満たされなかった愛情を満たしてくれる相手から安全感や安心感を充分に得るコトで大幅な改善が見込まれるコトから、「脳機能の障害」とされている広汎性発達障害とも区別されます。

自傷行為や過剰服薬といった自殺企図を繰り返してしまう。その理由は注目してほしい誰かに向けたSOSであり、「もっと私を愛して!」という悲痛な心の叫びなのです。

精神的飢餓感が満たされない限り、間違ったカタチでのSOSは続く

では、なぜそのような不適切な行動、間違ったカタチでのSOSを発信するのでしょうか。「もっと自分を愛してほしいと思うのであれば、それを求めればよいではないか?」と、両親や親族から愛情を注がれながら育ったヒトはフシギに思うでしょう。

しかしながら、まっとうなSOSを出しても一切無視された、拒否された、叱責された、こうした幼少期を経てオトナになった場合や、現在もなお両親との関係が良くないとか疎遠であるといった場合はどうでしょうか。

オトナが大騒ぎするような間違えたSOSを発信しなければ誰も注目してくれない。哀しい人生を送ってきた被虐待児は、そうしたアプローチをしなければ誰も助けてくれないという誤学習をしてしまうのです。

フツウに親の庇護と愛情を受けて育ったこどもは、自分が困ったとき、辛いとき、哀しいときなど、誰かに寄り添ってほしいときに親が寄り添い、助けてくれる。安心と安全に包まれ、満ち足りた居場所。存分に愛情を受けながらオトナになります。

こうしてオトナになれれば、適切なSOSを出せば、誰かが必ず手を差し伸べてくれるコトを知っている。単なる知識ではなく、経験として知っている。心から実感できているから誰かを信じられるのです。だから安心して正しいSOSを出すコトができる。

一方で、「愛されたい、助けてほしい」と正しいSOSを発信しても相手にされなかった。虐待や不適切な養育によって充分な愛情を受けられなかった。こうして精神的飢餓感を内包したままオトナになった被虐待児はどうなるか?

親からもらうハズだった愛情を誰かにもらう。こうして長い年月をかけて精神的飢餓感を克服し、本人が充分に満たされたと実感できるまでの間、被虐待児はいつまでも苦しみ続けるコトになるのです。

愛着障害の最大の要因になるのは、母親と娘の歪(いびつ)な関係

「じゃあ、父親との関係はどうでもいいのか?」とお叱りを受けるかも知れませんが、僕が相談支援を経験してきた中で愛着障害に苦しむ相談者をみてきた中では、母親との関係がよろしくないケースが圧倒的多数を占めます。

このような話になりますと一方的に母親が悪者と決めつけてしまいがちですが、母親ばかり責められない事情もあります。虐待を加える母親もまた、その親から虐待を受けたり不適切な養育がなされていたケースも少なからずあるからです。

母親自身が正しい子育てを知り得ないままオトナになったのであれば、心ならず子どもに虐待を加えてしまうケースがあっても不思議ではありません。愛情障害そのものは遺伝しませんが、愛着障害を起こす原因が世代間で連鎖する可能性は多分にあるといえます。

なお、自殺企図や自傷行為に苦しむ愛着障害者は決まって女性です。たまたま僕に経験がないだけなのかも知れませんが、愛着障害によって自傷行為や自殺企図を起こした男性の事例は過去にひとつも聞いたコトがありません。

このように、愛着障害に伴う自傷行為や問題行動を繰り返すのは女性相談者であり、彼女が歩んできた人生を辿っていくと、その先に必ずといっていいほど存在するのは、母親から充分な愛情を受けられなかったという過去であります。

 

課題解決に向けて、障害者ケアマネとして果たすべき役割

長い年月を要する困難ケースだが、解決への突破口は必ずある

以前、僕が前職で担当していた女性相談者のポン子さん(当然ですが仮名)もまた、幼少時代に両親から虐待を受けて育ったという被虐待児でした。

ポン子さんは3人きょうだいの中で唯一の知的障害者だったというコトから、幼少時代、父親から酒瓶で叩かれるなどの身体的虐待を受け、また、母親からは子どもたち全員がネグレクトを受けていました。

その結果、精神的飢餓感に苦しむポン子さんは相手の愛情を確かめるかのように、度重なるリストカットや過剰服薬を繰り返してきました。ときにはポシェットの紐で首を吊ろうとして止められるといった行動も。

また、ポン子さんと同じように母親からの愛情に飢えているがゆえの自傷行為を繰り返す女性相談者は他にもいました。たとえアタマで理解したとしても、決して解決するコトはないのです。誰かから愛情を受けて満たされるまでの間は。

では、われわれ支援者はどのように対応したら良いのか?

答えはすでに出ています。親族でも、友人でも、恋人でもない、支援者として相談者たちの精神的飢餓感を満たすために向き合うしかありません。

そのために僕らがすべきは、「安心してください。正しいSOSさえ出してくれれば、僕ら支援者が必ずアナタの力になりますよ」という思いを伝えるための支援を続けていくのです。

ここで最も大切なコトは、「できる限り直接的なアプローチが有効である」という点です。その意味において、最良なアプローチは相談者と直接会って話をするコトです。

面談の方法はケースバイケースですが、精神障害者の場合は慣れない環境や未知の者に対する精神的負荷が大きいため、来所相談ではなく自宅訪問する割合が圧倒的多数を占めます。

次に良いのは、「互いの肉声が聞こえる電話」であります。

ただし、障害特性によっては「この時間帯に電話するのは相手に迷惑がかかる」といった一般常識が一切通用しない相談者もいます。その場合はあらかじめ、電話しても良い時間帯や回数、1回あたりの通話時間を制限する約束をしておく必要があります。

支援者ひとりでは限界がある~他職種連携によるチーム体制で

最後に知っていただきたいのが、すべてをひとりの支援者が抱えると必ず破綻をきたすコトになるので、必ず相談者に関わる支援者と連携し、チーム体制で相談者を支えるようにするというコトです。

僕の場合、独りケアマネとして複数の相談者のために奔走する毎日を送っています。緊急時を除き、特定の相談者にばかり時間を割くワケにはいきません。また、生身の人間である以上、休息の時間も必要であります。

「僕が(私が)何とかしなきゃ!」というタイプのケアマネは、いずれ遠からずバーンアウト(心身のエネルギーが尽き果てる)してしまいます。独りで世界中の苦悩を一身に背負うようなタイプは必ず破綻します。

障害者支援がどれほど困難を極めるのか。それぞれの立場や職種は違えども、みな共通理解のもとで日々奮闘しています。その前提をふまえた上で「どうかみなさんの力を貸してください!」と、計画相談支援を通じて味方にしてしまうのです。

障害者ケアマネに限った話ではありませんが、ケアマネジャーの本領は他職種連携による支援チーム体制をいかに構築するか、その一点にかかっているといっても過言ではありません。

なぜなら、支援困難と判っていても、その解決に至るプロセスは職種ごとに異なる場合があるからです。そうしたさまざまな意見を集約し、支援方針を統一し、支援者全員の納得を得るための役割を担っています。

「言うは易し」なのですが、他職種連携が成功すれば、おのずと支援方針が統一されるコトになります。その上で役割分担を行い、それぞれの立場で、できるコトに徹してもらうのです。

愛着障害者のケースなら、上記の原則に基づき、それぞれの立場で本人と接する機会を設けて個別支援を行っていくコトになります。担当ケアマネも同様に本人と直接向き合い、他の支援者からの情報共有を得ながらチームを機能させ続けるのです。

その結果、愛着障害に苦しむ相談者の精神的飢餓感が満たされ、いずれは安心して正しいSOSが出せるようになる可能性が見いだせるコトになるのです。実際、ポン子さんは僕が前職を辞める1年以上前から、一切の自傷行為をしなくなりました。

いうまでもなく、ポン子さんが愛着障害を克服できたのは僕だけの力ではありません。グループホームの世話人、福祉就労所のスタッフ、かかりつけ病院の医療相談員、職業後見人みんなの力があってこその結果であります。

そして現在、担当を引き継いだ後任の障害者ケアマネに確認したところによりますと、僕が辞めた後もなお、ただの一度も「間違ったカタチでのSOS」を発するコトなく、元気で過ごしているというコトです。