オトナになる前に知っておきたい~学校では絶対に教えてくれない人生の鉄則

オトナになる前に知っておきたい~学校では絶対に教えてくれない人生の鉄則

義務教育を終えてから約30年。光陰矢の如し、その時代をともに過ごしたヤンチャ坊主たちが社会人としてそれなり(?)の要職に就き、新卒の新米教師だった元担任が教頭に昇進した現在…。

いい歳をした大のオトナが、今さらバカ正直に学校教育がすべてだと思うほど無知でも純粋でもないのですが、「人生の重大事項にもかかわらず、なぜコレを教えてくれなかったんだ?」といいたくなるような人生の鉄則があるものです。

「それはわれわれの役割ではない。学校教育でなく、家庭で両親から教わるべきものだ」と当時の教育関係者は主張するかも知れませんが、学校教育法の規定などで、ホンネをいいたくてもいえないコトが多々あったのでしょう。

そこで今回は、僕が社会人として20年以上キャリアを積んできた中、数々の手痛い失敗から学んだ人生の鉄則についていくつか綴っていきたいと思います。

 

01「職業に貴賤なし」は大ウソ、レッキとした不平等が存在する

自分が携わっているからいうワケではありませんが、確かに福祉の仕事は尊い仕事のひとつだと思います。敬遠されがちの3K職種の1つですが、誰かがやらねばならない仕事であり、そして需要は確実にある。ところが、給料はすこぶる安い。

僕は社会福祉士国家資格を取得しています。社会福祉士は、福祉系では最高峰に位置するハズの国家資格であります。合格率も3割以下と難易度も相応に高い。しかしながら「名称独占」という、ただ名乗っていいだけという資格であります。

どんな仕事に就こうが決してラクではありませんが(ラクだと感じるとしたら生き甲斐と遣り甲斐を錯覚しているだけの話)、それに見合うだけの対価を得られているとは限りません。

学校では決して教えませんが、職業には歴然とした不平等があります。職業が平等であるというのなら、どの職業に対しても同じ報酬を支払うべきです(余談ですが、社会福祉士は無資格者と何ら変わらない報酬しか得られない、実に「貴賤なき」国家資格です)。

教職員の給与は地方公務員の中でも高額であります。自分は高額な給与をもらっておきながら、報酬面の不平等を黙認して「職業に貴賤はない」と断ずるのは、不都合な真実にフタをする偽善かつ欺瞞以外の何物でもありません。

もし、福祉系の仕事で高額な報酬を得たいと思うのであれば、ただちに方向転換して医療系へ進んでください。福祉系の4年制大学へ行けるだけの財源があるなら、迷わず看護学校へ行くべきであります。

看護学校で看護師資格を取得し、病院勤務でハードな仕事に然るべき対価を得る。シフト勤務で昼も夜もないハードな生活は、施設勤務の介護福祉士のそれと全く変わりません。それでいて、もらえる報酬は格段に違います。

あるいは、さらに勉学を重ねて保健師になるコトをオススメします。大卒の社会福祉士を遥かに上回る給与体系が保証されます。しかも行政職などの安定した職場を選べば肉体的負担を軽減できて高給を得られる仕事に就けます。

狙いどころは町村役場の保健師です。仕事そのものは決してラクではないでしょうが、4大卒の地方上級職をはるかに凌ぐ高給が得られる上、有給は最大40日、週休2日かつ夜勤ゼロという安定した職場環境に恵まれるコトでしょう。

僕は今の障害者ケアマネの仕事が楽しくて仕方がないと思っていますし、性に合っている仕事として納得しているので薄給だろうが別に苦になりません。もっと稼ぎたければ、今以上に数多くのプランを立てれば済む話です。

しかしながら、生涯賃金というカテゴリだけで比較したならば、民間の社会福祉士の僕がどんなに頑張ったところで、町村役場の保健師の待遇を超えるコトなど絶対に不可能であります。

 

02 正しいコトをなすためには、権力者を味方につける必要アリ

「強きをくじき、弱きを助ける」などといった奇特なモノ好きなどファンタジーの中にしか存在しません。昨今のマスコミ報道を見れば一目瞭然でありまして、政界でも芸能界でも、権力者の庇護にある者たちは決して叩かれないものであります。

僕が右も左も知らない若造だった頃、最初の職場での話ですが、ちょっと気に入らないコトがあるとすぐに部下や市民を怒鳴りつける課長がいました。現在なら速攻で、パワハラで訴えられて懲罰にかけられるような手合いです。

そんな課長ですが、一転して首長(市町村長を総称してこう呼びます)や総合病院の院長センセイといった偉いヒトが来ると途端に掌を返し、「いやあ、どうもどうも…」と笑顔に揉み手でゴキゲンを取るのです。

こういっては何ですが、その課長の卑屈な表情を内心で軽蔑したものでした。自分より弱い相手にはすぐ怒声を浴びせたり平気で挨拶を無視したりする不遜な態度を取る一方、強き相手にはイヌが尻尾を振るかの如くの振る舞いだったからです。

さて、その課長は2年ほど僕の上司でもあったのですが、僕に対して何かにつけてすぐに怒鳴るわ決裁文書を投げて寄越すわ、本当にどうしようもないヒトでした。

ある時、広域ボランティア推進事業の企画書を上げた際、何かの逆鱗に触れたのでしょう。「ふざけるな! こんなもの絶対に認めんからな!」と激怒。いくら事情を説明しても理解してもらえず、困り果てた僕は主催市の担当職員に相談したのでした。

当時、その担当職員はバイクで一緒にツーリングしていた先輩でもありました。僕の窮状を見かねて「そうか、判った。今度、委員長と一緒に説明に行くわ」と。

以上の件を課長に伝えたところ、「オマエ、一体何を言ったんだ!?」と再び激怒。「アンタがそうやって頭ごなしに否定するから、先方が仕方なく骨折ってくれるんだよ」と内心で毒つきながら、わざわざ説明に来てくれる旨を説明。

そして当日。来客に向かって露骨に「オレは今、オマエらのせいで機嫌が悪いんだ!」とムスッとした表情を露骨に見せつける課長に対し(本当に社会人としての礼節を欠く人間でした)、先輩職員とボランティア推進事業の委員長が懇切丁寧に事業の概要を説明。

ところが、話し合いが進むうち、課長に急激な変化が起こったのでした。

ムスッとした大人げない表情はどこへやら。ミョーに愛想が良くなり、「いやあ、うちのゼロ君がね。なんか良く判らない説明するもんだから。それで皆さんが来られると聞いて『アンタ何いったの?』って」と、例のゴマ擦りモードに。

そして視線を移すと、先輩職員が笑いを噛み殺しているではありませんか。いつもの平静な表情なのですが、プライヴェートでも親交が深かった僕には、その変化はすぐに気付きました。

 

03 声が大きいだけで要望は通らない、政治の力を使うのが定石

結局、僕の窮状を見かねてご足労いただいた先輩職員(というよりは「委員長」ことセンセイの議員バッジ)のおかげで無事に話はまとまり、広域ボランティア推進事業は無事に決裁が下りるコトになりました。

「おいゼロ、オマエちょっと来い!」

後刻、課長が怒り笑いといったフクザツな表情を浮かべて僕を呼び出します。「オマエ、なんで言わなかったんだ?」と。「言わなかったって、何を?」と、課長の質問の意味を図りかねた若造の僕。

カンの良い読者にはピンときたかも知れませんが、課長がコロッと態度を変えて卑屈なゴマすりモードに切り換わった件のタネ明かしをしますと、くだんの「委員長」とは先方自治体選出の市会議員だったのです。しかも、数年後に議長を歴任するほどの大物。

「いや、オレだってなオマエ。何もはじめから認めないワケじゃなかったんだ。だからオマエに企画書をもういちど読ませろっていったろ?」と、弁解なのか居直りなのか判らない話を聞き流したものでした。

「なあゼロ。オマエのとこの、あの課長よ…」と、くだんの先輩職員とツーリングに行った際、ニヤリといたずらっぽい笑みを浮かべて僕に話したものでした。

「最初はムッとしてよ、委員長の議員バッジに気付いたとたんにコロッと態度変えやがって。オレもう、おかしくって笑い堪えるの必死だったわ。ホントに役人てのは議員に弱いよな」と。

「やっぱりそうだったんですね」と、僕も皮肉な笑みを浮かべて答えたものでした。「先輩が笑いを噛み殺してたの、ずっと横目で見てましたから」

 

学校では絶対に教えない「世の中のカラクリを知る」コトこそが人生の鉄則

以上のエピソードは今から何十年も前の笑い話ですが、こうした役人の思考論理は今も昔も変わりません。僕ら市民がいくら訴えても梨の礫で取り合ってもらえない話でも、どこぞの市会議員を同伴して窓口に行けば瞬時にケリがつく。

最も効き目があるのは、議会で首長に訴えて言質を取るコトです。一介の行政職員が拒否したところで、政治的なバックがいない限りは議員の質疑がそのまま通るものです。

こうした世の中のカラクリさえ把握していれば、逆に悪用するコトもできてしまいます。明らかに後ろ指を指されても止むを得ない障害福祉サービス提供事業所が未だに何のおとがめもないのはナゼか、とか…。

僕は虎の威を借りる狐になどなりたくありませんし、そういったしがらみとは一切無縁で生きていたい人間なので、政治の力からは距離を置いています。

しかしながら、社会には厳然と、学校では決して教えない世の中のカラクリというものがあります。そして、それを知らないコトによって思わぬ厄災に巻き込まれるコトすらあるのです。

逆に、世の中のカラクリを知るコトによって、人生のリスクを最小限に留めるコトができます。

職業に貴賤があるとか、権力者の後ろ盾の有無で不平等な扱いを受けるとか、政治の力にモノをいわせて要求をとおすコトはごくフツウにあるのです。

僕は人生の鉄則を悪用して加害者になるつもりはありませんが、無知であるがゆえに、あるいは思わぬとばっちりを受けて被害者になるのは願い下げです。

冷徹かつ容赦なきこの世の真理は、「知は力」であり「無知は無力」なのであります。実体験から学ぶのが最良の英知なのですが、優れた哲学書や小説から学ぶコトもできます。

卒業してから活かせる義務教育の内容など、しょせん本の読み方と優れた哲学者や作家を知るキッカケくらいのものです。そこから先は、自分自身で学んでいくしかないのであります。