転職を繰り返してこそ今がある~こういう生き方しかできないヒトもいる

転職を繰り返してこそ今がある~こういう生き方しかできないヒトもいる

これまでの人生を振り返ると「転職しない選択肢こそが最良」と今さらながら気付く

当ブログで何度となく転職を重ねてきたエピソードを綴ってきましたが、僕のスタンスはあくまで転職容認派であって、転職推進派ではありません。「転職せずに生きられないヒトにとって転職は止むを得ない人生の選択肢」というスタンスであります。

当ブログで「前向き転職のススメ」なるものを綴ったのは確かですが(詳細はコチラ)、「辞めたい時が辞め時」という前提条件がありまして、どうせ転職するなら後ろ向きな気持ちで行動すべきでないという逆説的な意味も込められています。

過去の僕も含めて心当たりがあるヒトには大変厳しい言葉になりますが、最初から辞めたいと思うかも知れないような職場を選んだ自身のミスというコトであります。転職せざるを得ない職場が悪いのではなく、そんな職場を選んだ自分が悪いのです。

よくある転職の正当化の常套句として「スキルアップやキャリアアップのため」といえば聞こえがイイですが、別に転職せずとも同じカイシャに留まったままスキルアップやキャリアアップを図る手段は模索できるワケであります。

転職するコトによって生じるデメリットは数多くあります。就職先選択を見誤った判断力のなさ。転職したくなるような職場しか選べなかった実力のなさ。こうした未熟さに加え、期待してくれた顧客や就職先の期待を裏切るという後ろめたさ。

僕にとっては期待を裏切るコトによって少なくないヒトたちをガッカリさせたり哀しませたりしたコトが忘れられず、「本当に申し訳ないコトをしてしまった」と未だに後悔しています。

当ブログで「これが最後の転職」だと何度か綴ってきましたが、それは、二度と同じ過ちを犯して誰かを哀しませたり後悔したりしたくないからであります。

 

「一生をかけて働きたい」と思える最初の職場選びをもっと深刻に考えるべき

ドイツ帝国首相を歴任したビスマルクの名言「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」。まるで、若き日の僕に向けられたかのような言葉ではありますが、愚者と賢者を明確に線引きする名言だと思います。

就職活動においても、本来であれば就活生はみな歴史に学ぶ賢者でなければなりません。ところが、学ぶべき歴史があまりにヒトの多様性を無視した、あまりにも画一的な価値観の強要であった弊害によって、しなくても良い転職を何度も繰り返すヒトもいます。

このようなコトを綴ると「ヒトのせいにするな」とお叱りを受けるかも知れませんが、就職ありきで就労支援が展開し、本人が本当にやりたいコト、本人の希望と適性に応じた進路希望という選択肢を模索する取り組みは一切なかった。

「社会人としての経験もない子供たちに将来を選択しろなどムリな話だ」という意見もごもっともですが、そう決めつけるのはやはりオトナの傲慢ではないでしょうか。そのオトナたちは子供たちの完璧な進路を示唆するコトができたのですか?

僕がティーンネイジャーだった頃、親が強要する選択肢といえば「大学へ進学して公務員」でした。そんな親に対し、僕が親の期待に応えたのは1/2、大学進学のみでした。親が望む公務員にならず、民間の社会福祉法人に入職。その後も民間を渡り歩き、現在に至ります。

確かに転職を繰り返してきましたが、では親のいうとおり公務員になっていたら人生バラ色、何の後悔もなく人生を謳歌できたとは思いません。現在よりもはるかに恵まれた待遇なのが判っているにもかかわらず。

僕は福祉の仕事をしたいと志していた一方、もともと算数が大の苦手だったコトもあり、経理関係の仕事にだけは絶対に就きたくないと思っていました。

もし、親の勧めどおりに公務員になったら、最初から最後までお望みの福祉職だけ取り組めるとは限りません。実際、僕が最初に就職した社会福祉法人は行政職員と二人三脚で働く職場だったので公務員の勤務実態はイヤになるほど良く知っています。

公務員になるのは優秀な頭脳を持ち、どの部署に異動させられようがコンスタントに結果を出せる、そんな人材でなければ務まりません。とても僕にはムリです。親に逆らったワケではありませんが、本当に公務員にならなくて良かったと思っています。

僕は歴史に学ぶ賢者にはなれませんでした。大学生活という、今にして思えば無限に思える時間を作り出せる環境にありながら、就職活動を深刻かつ戦略的に考えようとはしなかった。そのツケは以後の人生でキッチリ支払わされたワケであります。

 

転職しないコトが最良だと認めつつ、転職を繰り返してきたから今の自分がある

社会福祉士の試験に3度目の正直でようやく合格し、ソーシャルワーカーとして半生には何の後悔もありませんが、転職を繰り返してきたというコトには後悔があります。できれば最初から今の職場に就ければ良かった。

最初の職場選びこそが人生を賭してでも徹底的にこだわり抜いて選び抜かなければならないという真実を知らないまま、それでも福祉の仕事をしたいという初志貫徹だけは貫いた20余年。

今こうして半独立型社会福祉士という人生のリスタートを切れたのは、これまでの僕のキャリアとスキルを認めてくれる仲間に恵まれたコトであります。

そして、その幸運を拾うコトができたのは、人の道を外すような生き方だけはしないという信念のもとで転職を繰り返しながらソーシャルワーカーとして尽力してきた、僕の心意気を神様が拾ってくれたのだと、手前勝手ながらそう信じています。

しなくても良い転職を繰り返してきたのは痛恨の極みですが、それがなければ今の僕はなかった。とてもオススメできる生き方ではありませんが、僕自身はこれまでの生き方を少しも恥ずかしいとは思っていません。胸を張っていられます。

転職を繰り返してきたのは誰の強制でもない、僕の意思で選んできた生き方であります。そして、こんな生き方しかできなかった僕ですが、今は半独立型社会福祉士の障害者ケアマネとして誰かの役に立てるという、最高に幸せな人生を送るコトができています。

幸福な人生はヒトそれぞれであります。逆もまた真なりで、就労における幸福の価値観の多様性を認め合う寛容さと聡明さがない限り、息苦しいギスギスしたつまらない人生になってしまいます。僕は、そんな人生を送るコトも誰かに強要するコトも願い下げです。

高収入と高待遇を得るために他のすべてを犠牲にする生き方など、御免こうむる次第であります。