初対面の緊張を解く最大の潤滑油にして起爆剤、「笑い」を生むために

初対面の緊張を解く最大の潤滑油にして起爆剤、「笑い」を生むために

アイスブレイクが困難な状況下で初対面の緊張をいかに解くか

ビジネスに限らず、どんなシチュエーションにおいても「初対面の緊張」というのは誰にでも必ず伴うものです。もっとも、フタを開けてみれば案外「案ずるより産むが易し」の場合がほとんどですが。

僕ら障害者ケアマネの仕事においても、初対面の緊張というものは職務上、必ず付きまとうものであります。だからこそ、初対面においては双方を知る第三者に立ち会ってもらい、緊張感の緩和を図るのが定石となります。

僕が障害者ケアマネとしてリスタートした際、新規でご紹介いただく相談者の定義は「すでに障害福祉サービスを利用しており、困難さを伴わないと思われるケース」でした。

このような定義を設けたのはもちろん理由があります。前職のように、潤沢な委託費や巨大法人の資本力といった財政面における強大なバックボーンがない以上は、障害者総合福祉法に規定される給付費が確実に請求できるケースのみ対応せざるを得なかったからです。

以上のような新規相談者であれば、すでにサービス提供している支援者さえ同席してもらえれば、インテーク面談でアイスブレイク(初対面における緊張を解くために行われる技法)を済ませれば良い話です。

いったん初対面の緊張さえ解けてしまえば、その後は僕が単独で動いても全く問題はありません。このように、双方が知っているヒトさえ立ち会ってくれれば、初対面における緊張から解放されるのは割と容易いものであります。

ところが、時と場合によっては初対面の相手と1対1で向き合うコトになるという、スリリングなシチュエーションに遭遇するコトがあるのです。

 

改めて実感、初対面における緊張を解く「笑い」の効能について

半独立型社会福祉士になってからの話ですが、とある障害福祉サービス提供事業所の見学のため、相談者とその家族を連れて出向くコトがありました。ちなみに今回のエピソードに登場する「その家族」とは、くだんの相談者のきょうだい1名であります。

見学当日、相談者は移動支援を利用できたのですが家族は乗せられないとの話だったので、家族は僕のクルマに同乗してもらうコトに。ところが、僕はその家族とこれまで一度も会ったコトがなく、初対面でいきなり1対1の緊張を強いられる流れとなりました。

とはいえ、これでもソーシャルワーカーとして20年以上のキャリアを誇るベテラン(年数だけは)を自負する以上、これまで培ってきた経験をもとに慎重な安全運転とアイスブレイクの同時進行をこなした次第であります。

このように、見学先を往復する道中で一応はソツなく初対面の緊張を解くコトができたワケですが、家族の緊張がどのあたりで解けたのかを振り返ってみますと、「あそこだな」と思い当たる場面がいくつかありました。

そのうちの1つが、帰りの車内でその家族が「そうなんですよー!」と破顔一笑した場面でした。あの瞬間を振り返り、「よし、コレで一応は良好な信頼関係の構築の第一歩が踏み出せた」と実感した次第です。

個人情報の関係上、車内での会話の詳細は割愛させていただきますが、僕が駆使したのはいつもの「傾聴と同調」であります。相談者のお世話や介護の苦労について傾聴し、家族の苦労に同調する。その延長線上で上記の流れになった次第です。

断っておきますが、僕は笑いのセンスなど持ち合わせておりません。どちらかといえば「笑わせる」ではなく「笑われる」側でありまして、亡父からはウンザリするほど「イジられた」ものでした。

ところで、俳優の世界において最も難しいのは喜劇役者であります。コメディを演じられる役者は凄腕といえましょう。泣かせる演技は「泣かせる演出」さえ整っていればそう難しくありません。怒らせる演技なら凡庸な役者でもできます。たぶん僕でも余裕でこなせる。

低俗な笑いが蔓延するのは今も昔も変わりませんが、時代を超越した上質なユーモアを体現できる凄腕は世の中に数えるほどしかいません。塩野七生センセイの言葉を借りれば「バカがやればケガをする」そのものであります。

意図的にヒトを笑わせるコトができる才覚を持っていない僕は決して無茶をしません。ひたすら、愚直なまでに自分ができるコトをこなしながら、アイスブレイクに務めるのみです。

ヒトは会話を楽しむコトができる生き物であり、緊張が少しずつ緩和していくコトによって、自然と会話の合間に笑いが生まれるものであります。僕が狙うのはソレです。どこで笑いが生まれるか、予測はできません。結果として笑いが生まれればイイなと思う程度です。

アイスブレイクが成立する条件はいくつかありまして、主なものは下記に示すとおりであります。

その1:自己紹介+自己開示

ワーカーが氏名や所属だけでなく、経歴などの自己開示を行い、素性を明らかにするコトによって、クライアントが抱いているであろう不信感や警戒心が解かれていく

その2:共感が得られる話題の共有

例えば好きなアーティストが同じだったなど、クライアントの「快・不快」における「快」が一致したと実感してもらった瞬間、心理的距離が一瞬で縮まる

その3:ワーカーによる傾聴と同調

クライアントが置かれた境遇に対して思い遣りの言葉を交わすコトによって、その後の信頼関係の構築に向けた第一歩を踏み出せる

 

笑い」は意図的に引き起こすものではなく、自然に湧き起こすもの

話の流れから、くだんの家族が破顔一笑した瞬間を演出したのは、上記3つのうち、その3に該当していたものと思われます。傾聴と同調は意図的に演出したものですが、「そこでウケる?」と、家族の笑いは自然に湧き起こったものでした。

その相談者は親きょうだいの愛情に満ち溢れた深い絆で結ばれていますが、親ときょうだいの考え方が完全に一致するワケではありません。相談者を思い遣る気持ちは共通であっても、そこに至るプロセスは微妙に違います。

それもそのハズ、たとえ志を同じくする家族であっても、個々の人格は別なのですから。

目的の事業所見学を終わらせ、帰りの道中、以上について親の考え方とは違うという家族の悩みを吐露する家族に傾聴と同調を繰り返す僕の一言に反応。その流れで起こった「そうなんですよー!」だったのでした。

仮に僕がポジティヴ思考あるいはサービス精神を発揮して意図的に笑いを取ろうと「攻めた会話」を仕掛けたとしたら、どうなっていたでしょうか。恐らく、その家族は愛想笑いの苦笑いをしたか、不信感を抱いて黙り込んでしまったコトでしょう。

笑いを取るのがクールなコトだと攻めた会話を繰り出す自称「笑いを知っているオトコ」をたまに見かけます。しかしながら、そこで生まれるのは、笑いとはまるで無縁な「微妙な空気」です。

「笑いを狙って取るのではなく、結果として笑いが生まれる」

そのような展開を意図的に作り出すコトこそが、われわれソーシャルワーカーが目指すべき1つの到達点であると僕は考えています。