「守るべきもの」があるからヒトの道を外れず生きていける

「守るべきもの」があるからヒトの道を外れず生きていける

これまで積み重ねてきた「ウデ」と「コネ」が功を奏したのか、計画相談支援の事業所を開設して以来、ちょっと怖くなるほど順調に障害者ケアマネとし充実した日々を送っています。

好事魔多し。身を引き締めたいところですが、それでも大丈夫と確信できる裏付けがあるのは僕を仲間に引き入れてくれた法人スタッフの存在があるからで、半独立型だからこその今があります。

完全独立型となれば、決して順調にはいかなくなるのは火を見るより明らかであります。

法人運営や経理事務などの裏方を仲間が完全にバックアップしてくれているからこそ安心して独りケアマネとして存分に業務に没頭でき、相談者やその家族に向き合うコトが実現できています。

しかしながら、僕が苦手とするソロバン勘定や一般人には難解な法律を正しく読みこなせる優秀な仲間がいるからというだけで順調な現在が成立しているワケではありません。

過去の職場にもその意味において優秀な人材が揃っていたワケですから、その理由だけで今の僕があるとはいえないのです。

では、何があっての現在なのか? それが今回のテーマ、「守るべきもの」があるか否かで人生の在り方が大きく左右されるというお話です。

 

そのヒトにとっての「守るべきもの」があれば、人生を踏み外すコトはない

転職がもたらすココロの変動、土砂降りと晴天がフィフティフィフティ

僕が過去、3回もの転職を繰り返してきた件は当ブログで何度かご紹介したとおりですが、転職によって何が辛かったかといえば、利用者・スタッフを問わず、僕を慕ってくれたヒトたちに別れを告げなければならなかったコトです。

僕は他人に対して生理的な好き嫌いを抱くコトはなく、自分と違う価値観に対してもかなり寛容でいられる人間なのですが、一方でプライドが高く、侮辱や軽視を加えてきた人間を絶対に赦さない人間でもあります。

その意味で、転職によって別れたくないヒトたちに後ろ髪を引かれる思いがあった以上に、二度と関わりたくはない人間関係をスッパリ清算できたという精神衛生上のメリットがありました。

逆に、喜んだとまではいいませんが、僕が去ったコトに何の痛痒も感じないヒトもいたでしょう。風のウワサに「ゼロさん、辞めたんだよー」と嬉しそうに話している元部下がいるとかいないとか、そんな話を小耳に挟んだコトも。

せっかく、お互いに別れて清々しているところなのですから、歴代の職場に再び来訪したコトなど一度もありません。とてもそんな気にはなれませんし、この考えが変わるコトもありません。

ヒトの道を外れそうになった時、その抑止力になるのは「守るべきもの」

それでは、ビタースウィートな過去の思い出を振り返った上で現状はどうかと考えてみると、今の職場には早々に絶縁して清々したいと思うようなスタッフは皆無であります。誰もが僕を尊重してくれているのを実感していますので。

このような職場に身を置いていますと、自由気ままに、やりたい放題で振る舞うコトができる独りケアマネであっても、法人スタッフをガッカリさせるようなコトはできないと自分を律しながら日々の業務に取り組むコトになります。

僕がどんな人間かという点については上記で述べたとおりですので、苦言や諫言であれば甘んじて聞き入れるくらいの節度は持っていますが、どう考えても侮辱や軽視だと感じた瞬間、攻撃モードに切り換わってしまうという厄介な面もあります。

つまらない短気を起こし、激情の赴くままに自らを御しきれず、歴代の職場で上司や同僚、果ては部下や後輩を相手に、本当にくだらない諍いを何度も起こしてきました。

かつての職場で若造の僕がさんざんやり合った元上司の中には現在、けっこうな地位に昇りつめた方もいらっしゃいます。そのまま残留していたらどうなっていたコトかとゾッとしますが、それも身から出た錆、自業自得というものでしょう。

そうした職場に身を置いていた若造時代、「だったら辞めてやるよ、やってらんねえ! けどな、オレが辞めて困るのはお前らじゃねえのかよ?」など、まったくガキの理屈でムダに尖った生き方をしてきたものでした。

しかしながら、若造時代から20年も時が過ぎれば、確実にヒトは変わります。激情に身を任せて荒ぶる愚かさ、そうした生き方をするコトで被る損失の計り知れなさにイヤでも気づきます。

そして、他人からみれば平凡な生き方であろうとも、誰かを傷つけたり悲しませたりしない生き方こそが最上のもの、何よりも尊いものであるという「人生の真実」に気づくのです。

守るべきもの=悲しませたくない存在があるからこそ

僕がヒトの道を踏み外さずに障害者ケアマネとして仕事を依頼してもらっているのは、僕にとって確固たる「守るべきもの」があるからです。それは、僕を仲間に入れてくれた法人スタッフです。

もちろん、僕を信頼して障害者ケアマネとしての仕事を任せて下さる相談者やその家族や支援者も僕にとって大切な存在であり、守るべきものにカウントしています。

しかしながら、未だにつまらないコトで頭に血が昇ってオトナとしての分別がつかなくなる瞬間、真っ先に脳裏に思い浮かぶのは法人スタッフの存在です。

もし、僕が現在の法人から離れて完全独立型社会福祉士になったとしたら、こうした存在をすべて失うコトになります。すると、どういうコトが起こり得るか? 容易に想像できます。

そうなれば、きっと僕のコトですから、つまらないコトで人生を投げ遣りにしてしまい、僕に期待してくれている多くの人たちを失望させるようなバカなコトをしでかしてしまうと思います。

「あのヒトたちを悲しませたり、ガッカリさせたりするワケにはいかない」

このように思える尊い存在こそが、僕がヒトの道を外さずに生きていくために必要不可欠な抑止力たりえるのだと信じて疑いません。