エレキギターの「3つの楽しみ」~鳴らす・合わせる・聴かせる

エレキギターの「3つの楽しみ」~鳴らす・合わせる・聴かせる

僕がエレキギターを始めたのは14歳の冬でしたので、かれこれ30年余が過ぎた計算になります。

その間、毎日のように練習していた時期もありましたし、機材をすべて手放した時期もありましたが、人生を終えるまでエレキギターが寄り添うコトになりそうです。

ヒトが楽器をはじめるキッカケというのは千差万別であります。

親兄弟が弾いていたとか、プロのミュージシャンの影響を受けて自分もやってみたいと思ったとか、友達に誘われたとか、何となくやってみたいとか、そういったエピソードを聴いて回るのも楽しいものです。

僕がエレキギターを弾き始めたキッカケは「何となくやってみたい」というものでした。

一方の手で弦を押さえ、もう一方の手で弦を弾くという動作が面白そうだという興味が湧いてきて、親に話したらクリスマスのプレゼントで買ってもらった次第です。

同じ弦楽器であればアコースティックギターやベースも選択肢に入るところですが、いずれも地味だと思い、どうせやるならハデで目立つエレキギターがイイという不純な動機でした。

あれから30年。理論も技術もサッパリですが、「永遠の中級者」として、今ではバンドを組んでエレキギターを弾き続ける日々を送っています。

 

ただ、エレキギターを鳴らすのが好きだから…でも

バンドに加入していなくとも弾き続けていたのは間違いない

僕がエレキギターを弾き始めたのは、例えば「オフロードのラジコンカーが好きだから始めた」といった程度の理由でした。ライヴで華やかなスポットライトの下、ギターソロをキメたいといった願望など皆無。

当時、エレキギターといえば不良の代名詞といった固定観念があり、決して優等生ではないけれど不良にもなれないといった没個性的な学生だった僕にとって、ライヴなどハードルが高い冒険でした。

当時、僕がエレキギターを始めたというウワサが流れた頃の評判は最悪で、「そんなカオじゃない」「カッコ悪い」「背が低いクセに似合わない」等のバッシングを浴びたものでした。

それでも近所の空き地でラジコンを走らせるのと同じ動機でコツコツと単独で弾き続け、高校1年でバンドに加入させてもらったのはイイけれど、たった1回のステージで脱退したのは以前ブログで綴ったとおりです。

バンドを組んでライヴに出たいといった欲求は持ち合わせておらず、「背が低いし地味だし、ダサいのなんか言われなくても判ってる」とフテくされ、チョット不良で容姿端麗なバンド連中と距離を置いたワケです。

そんな僕の1/2の製造主でもある亡き父が、劣等感に苛まれてフテくされるだけの僕の行く末を心配したのか、ある日、こんな話をしたコトがありました。

エレキギターの楽しみは3つ、「弾く」「合わせる」「聴かせる」

「なあゼロ。お父さんの知り合いから聞いた話だけどな、楽器の楽しみっていうのは3つあるんだ。まずは弾く楽しみ、次にバンドで音を合わせる楽しみ、最後にステージで聴かせる楽しみだ」

「能ある鷹は爪を隠す」ということわざがありますが、僕の父親は「能ある鷹は爪を出せ」という人間でした。とにかく前に出ろという生き方で、父親の生き方そのものを暗喩するものでした。

ウンザリしたのは、それとは真逆な気質の僕に自分と同じ生き方を強いるコトで、僕にそのような気質を遺伝させた母親もそんな父親に同調して小うるさい説教をかましてきて、さらにウンザリしたものでした。

当時、交友関係が広い父の元には実に多くのヒトたちが集まってきたものでした。

そのうちの1人が後年、弔問に訪れた際にバンドでエレキギターを弾いていると知り、「ゼロくんはお父さんが『前に前に』っていうヒトだったのと正反対だったよねえ」と感慨深く言われたのが印象的でした。

「カエルの子はカエル」なのか、運命のイタズラで心ならず引っ張り出されて翻弄されているのか判りませんが、あれほど反発していた父親の生き方と一部リンクしているのは間違いありません。

バンドを組んでも組まなくても、エレキギターを身近に置き、気が向いたら弾き続けるという僕のライフスタイルは一貫していたと思います。

しかしながら、バンドを組むコトで必然的に「合わせる楽しみ」を味わい、その延長線上にある帰結として「聴かせる楽しみ」を追求するコトができるのは、無味乾燥だった僕の人生に少なからぬ潤いと豊かさをもたらしたのは間違いありません。

 

仕事は忙しいし体力は落ちる一方、それでも弾き続ける動機となるのは

バンドを組んでいる、ただそれだけでは動機として弱い

僕が加入しているバンドは腕利きぞろいというコトは当ブログで何度も触れてきたとおりです。

しかしながら、恵まれているのはメンバーだけではありません。練習場所にも恵まれています。バンドメンバーの知人が所有する倉庫を無料で使わせてもらっているのです。

バンドを組む腕利きメンバーがいて、しかもタダで使える練習場所まである。駐車場も無料です。これほど恵まれた環境にあるギタリストは数少ないでしょう。

ところが、そんな恵まれた環境にあっても、おかげさまで仕事が順調かつ絶好調となれば、昼間の労働で疲労困憊。

しかも40代を折り返した現在、あの無尽蔵に湧き上がるムダな体力はすっかり消え失せ、夕食後にテレビを観ながら爆睡してしまう毎日を送っています。

ガキの頃は、あれほど練習したくてたまらなくて時間も体力も腐るほどあったのに、カネも場所もなかった。それから数十年、カネも場所もどうにでもなるのに時間も体力もない。

「人生、ホントにうまくいかないもんだ」と嘆きたくなるところですが、そんなくたびれた中年ギタリストが一念発起して自主練習に励んだり、疲れたカラダにムチ打って練習場までクルマを転がす動機が1つあります。

それは、「聴かせたいヒトがいるかどうか?」という点であります。

聴かせたいヒトがいるコト、それが演奏欲求を湧き上げる最大の動機になる

ハナを明かしてやりたいとか認めてもらいたいと思うライバルのギタリストでもイイし、友達でもイイ。社会人であれば同業者やお得意先でもイイ。

とにかく、聴かせたいヒトがいるというコトが最大の動機になります。

そして、その動機を具現化するための演奏する場が必要で、そのためにはステージに立つ必要があります。

市民活動などのイベントに参加させてもらったり、会場を借りてライヴを企画したり、ハードルが低い機会を設けるコトは意外とカンタンです。

僕は障害福祉の仕事をしていますので、同業者の障害福祉サービス提供事業所の夏祭りでお呼ばれしたり、逆に高齢者福祉の施設へ慰問させてほしいと打診したりと、アマチュアのコピーバンドがステージに立つ機会はいくらでもセッティングできる。

楽器店など主催のコンテストやライヴハウスに出演する場合、チケットを売らねばならないというハードルの高さがありますので良し悪しがありますが、無料で演奏する機会を設け、それなりにウケて喜んでもらえるステージに立つのは、実はそう難しいコトではありません。

むしろ、その日に出演できるかどうか? バンドメンバーのスケジュール調整が最大の難点に。

そしてもう1つ、オトコなら最高潮に張り切って練習する動機になるシチュエーションがあります。言わなくても判ると思うのですが、彼女でも片思いでもイイ、好きなヒトに聴かせる機会を設けるコトです。

別にそれでモテるとは限りませんが(イヤになるほど体験済み)、好きなヒトが観に来てくれるというテンションが上がりまくるシチュエーションこそが最高のカンフル剤になるのです。

そして、こうした不純な動機がバンドメンバーにバレてしまい、冷やかされながらステージに立つというのも最高に楽しい思い出に(もっぱら冷やかす側でしたが)。

逆に、誘っていたけど、その当日、来てくれると思っていたヒトを何度探しても客席にいなかったというコトもあります(コレも何度も体験済み)。

そういう落胆もまた、のちにビタースウィートな笑い話の1つになるのです。それを酒のサカナに、バンドメンバーと呑み語らう。

あるいは、内心で「あーあ」と溜息をつきながら、苦い酒や料理を噛みしめるのであります。

これらのコトは、楽器を弾いたり、バンドを組んだり、ステージに立って演奏しなければ、絶対に味わえない人生における楽しみの数々になるのです。