ほろ苦い過去を未来への強みに~転んでもタダでは起きない社会福祉士

ほろ苦い過去を未来への強みに~転んでもタダでは起きない社会福祉士

相談支援の仕事は人生経験がモノをいう場面が非常に多くあります。若造が何を言ったかではなく年長者が言うコトが重要であるという話はよくありますが、必ずしも真実ではありません。

単に年を重ねているというコトに対して相談者が固く閉ざした心を開くワケではなく、人生経験をもとに共感を示すコトによって相手の心を揺さぶり、あるいは和ませ、やがて開かせるのです。

相談支援の現場において、「傾聴と共感」を相手が望むカタチで自らの意のままに扱えるコトは、ケアマネジャーが必ず装備しておかねばならない基本能力であります。

しかしながら、単に技巧を凝らしているだけでは相談者の信頼を得るコトはできません。表向きのキレイゴトではなく、心の底から相手の力になりたいという真摯な思いがあってこそ傾聴と共感に心と魂が宿るのであります。

以上、ここまではケアマネジャーがまっとうに相手に向き合う真摯な心がけさえあれば叶います。

ところが、そこから先の領域に辿り着けるか否かは、個々のケアマネジャーの力量、その源となる人生経験に大きく左右されます。

当ブログの転職キャリアのカテゴリにおいて、「カネ・コネ・ウデ」の3つが転職の成否を大きく左右すると何度か綴ってきました。

そのうちの「ウデ」こと技能は、本業に打ち込み経験を積むコトで自然と身についてきます。

僕も障害者の相談支援の経験値は10年目を迎えましたが、ソーシャルワーカーとしての経験値は20年以上に至ります。

社会人としてベテランと呼ばれる年季を積んだコトになりますが、僕というケアマネジャーの真のワザは、社会福祉士としての経験値ではないと思っています。

それは何か? 過去に置いてきた負の体験であります。自分の言動が引き起こした対人トラブルや家族との軋轢といった不快な記憶の数々であります。

できれば、記憶からすべて消去したい。そして自分にとっては黒歴史の数々でしかない、ほろ苦い過去の記憶が、苦悩する相手のフトコロに飛び込む上で最高に役立ってくれるのです。

 

自慢話でもグチ話でもない「負け顔」を曝け出して信頼を得る

ヒトの話を聴いている中で不愉快に感じる話の代表格といえば、自慢話とグチ話であります。

前職における相談支援の大半がケアマネジャーには過大なストレスとなる話が多かったのですが(当ブログにも何度か登場してもらったガー子さんもグチ話の常習者でした)、それも宿命と覚悟を決めなければなりません。

しかしながら、逆にケアマネジャーが相談者にストレスをかけるような話をするようなコトは回避しなければなりません。たとえ相手のためと思っての話であっても、であります。

「良薬は口に苦し」といいますが、優位な立場にいる者が相談者に、上から目線でモノ申すような言動をしたら、相談者はケアマネジャーに反感を持つか委縮して信頼は得られないでしょう。

何らかの状況で相談者を説得あるいは安寧に慰撫しなければならない時によく使うのが、いわゆる「負け顔」を見せるというアプローチであります。

資格や学歴を持つと、相談する側からすれば「大学行ってるんだ」とか「あんな難しい資格を持ってるなんて凄い」と思われる状況になりがちです。

僕は、福祉系の4年制大学を卒業して社会福祉士の国家資格を取得しました。しかしながら、指定校推薦でようやく私大に滑り込んで入学した劣等生でありました。

人一倍、入学後にさんざん苦労したとか(つまり勉強ができない)、福祉系大学を出ていながら社会福祉士国家試験に2回も落ちた(やっぱり勉強ができない)、筋金入りの劣等生でした。

「負け顔」とは、イヤ味な自慢話ではありませんし、聴かせる側をウンザリさせるグチ話でもありません。ダサくてカッコ悪い、ありのままの自分を相談者に曝け出すというコトであります。

わがマチの同業者は社会福祉士や精神保健福祉士を取得しているのが当然といわんばかりに名刺に国家資格が明記されています。

中には介護福祉士も含めた3福祉士すべてを取得しているヒトや、介護支援専門員も取得しているというツワモノもフツウにいます。

僕は社会福祉士しか取得していませんが、さんざん苦労した末に合格したエピソードを話すコトで「そうですか、ゼロさんも大変だったんですね」と親しみを持ってもらうコトができるのです。

同情も含まれていると思いますが。

できればスマートなエピソードをさりげなく語るコトで相手に信頼してもらえれば最高なのですが、残念ながらスマートでないエピソードが山盛りの冴えない人生でした。

しかしながら、こうした過去のほろ苦い記憶の数々が相手の信頼を得るための「負け顔」の根源に昇華できると思えば、思い出したくもないイヤな思い出の数々が宝の山に思えてきます。

ケガの功名といいますか、ヒトよりも余計に勉強したおかげで、このような記事も書けました。10年以上前の合格体験記ですが、現代でも通用するエッセンスが詰まっているハズ。

社会福祉士国家試験に一発合格するための10ヶ条→コチラ

 

 

災い転じて福となす~ほろ苦い過去をプラスに変える

最近、モニタリングのために精神疾患がある相談者オサムさん(仮名)の自宅訪問をしたのですが、非常にマジメかつ聡明な頭脳をお持ちで、高尚な思考をする相談者であります。

オサムさんの深遠な会話についていくためには相当な論理武装が必要になります。

オサムさんは僕よりも一回り年上で高卒者なのですが、わがマチで最高偏差値を誇る進学校を卒業しています。つまり、僕など遠く及ばない優れた頭脳を持っている方です。

オサムさんは文藝春秋の月間オピニオン雑誌を愛読し、自身の人生を深く考察してA4版4~5枚にわたって毎週、書き起こす習慣をお持ちです。

精神科病院の主治医から思考の整理のため紙に書き起こすよう薦められ、すでに3年も継続中。

そのあたりのやり取りは難解な説明に対して、必死に僕なりの所見を伝えオサムさんの同意を得るのが精一杯なのですが、ふとポツリと、亡き父親と弟に対しての悔恨の念を口にしたのです。

若い頃のオサムさんは正論を振りかざして、絶対的正義をもとに父親をやり込めたり弟を殴ったりしたコトがあったそうです。

受験勉強をいい加減にやっていたコトに立腹して鉄拳制裁を加えたという弟さんとは特に合わなかったようで、葬儀後、義妹に責められたコトもあったそうです。

「義兄さん、どうしてもっと主人と仲良くできなかったんですか?」

お互いさまだと、あまり気にしないようにしていると話していましたが、それでもオサムさんの中では悔悛の念があったのだと僕は判断しました。

そこで僕も生前にあまり関係が良くなかった父のエピソードを話して理解を求めました。

オサムさんのいうとおりだと思う。僕は亡き父に対する不満は山ほどあるけれど、僕も息子として父を怒らせたりせずに、「良き息子」として接するコトはできていなかった。

つまり、どちらか一方だけが悪かったというものではなかった。

以上のような話をオサムさんに伝え、だから過去は過去としてオサムさんの人生を歩んでいくべきではないかと話しました。オサムさんも「そうですね」と納得して下さいました。

もし、若い頃の僕が優等生で良き息子であり、父もまた子煩悩で理想的な父親像そのものであったなら、オサムさんの苦悩を理解するコトはできなかったと思います。

決して順風満帆でなかったここまでの人生と、あまり思い出したくはないほろ苦い過去があるからこそ、今こうしてヒトの心の痛みに少しは理解が及ぶようになれたのだと思っています。

誰だって劣等感よりも優越感を感じて生きていたい。

ステキなパートナーとめぐり逢い、結ばれ、幸せな家庭を築きたい。子宝に恵まれ、子供たちは健やかに育ち、スポーツや芸術で才能を発揮し、優秀な成績を修め、良い就職とともに巣立っていく。

しかしながら、このような人生を送れるヒトは世界中を見渡しても一握り。何かが欠けている。あるいはすべてが。そんな「持たざる人生」を送るヒトの方が圧倒的に多いのが現実です。

自分はその痛みを知らずともヒトの痛みを知り、共感できるのが至上のケアマネジャーでしょう。次に良いのは自身が痛みを知り、その痛みを何らかのカタチで昇華できるケアマネジャーです。

ほろ苦い過去を未来への強み(ストレングス)に昇華できる、そんな障害者ケアマネでありたいと思いながら、次の相談者宅へ出向く日々がこれからも続いていきます。