社会人サバイバルを生き抜くために

社会人サバイバルを生き抜くために

世の中には「障害者ケアマネ」こと相談支援専門員という仕事があるコトや、障害福祉分野で働く社会福祉士の実態について知ってもらいたい。当ブログを始めた目的であります。

加えて、社会福祉業界の限定ですが、過去3回の転職経験がありますので、そこから学んだ知識や経験を「転職キャリア」にまとめました。

幸い、行き当たりばったりの成り行き任せで飛び出してしまった歴代の職歴を経て独りケアマネにして半独立型社会福祉士として、現在は最高に充実した毎日を送っています。

今回のテーマは社会人として生活してきた20数年を振り返り、そこから知るに至った真の自分、すなわち「弱き者」としてのあるべき生き方について綴りたいと思います。

 

社会人という人生経験がなければ知り得なかった「真の自分」

無邪気にヒトを傷つけるヒトたちの存在。自分に仇なす存在からの退避、ただひたすら自己防衛のための離脱。

当ブログでもたびたび触れてきましたが、今にして思えば僕が転職を決意するのはいつだってこの理由に尽きます。

何を見込まれたのか(相応の待遇と引き換えとはいえ)、分不相応な中間管理職に据えられたのはイイが、それを完遂するだけの気概を持ち合わせていなかった。

一部ではありましたが、僕に理不尽な侮辱を加えるヒトや非常識な暴言を平然と口にするヒト。

こうした悪意なき精神攻撃に対し、僕はあまりにも脆弱でした。認めたくはないが繊細な神経しか持ち合わせていなかったのです。

「何だって? もう一回いってみろ!」と凄める気の強さもなければ、「まあ、イイか」と流せるだけの気の太さもなかった。

将来、人事権を左右できるだけの組織内政治力を持ち合わせる地位に昇りつめるまでの間、忍耐ができれば別だったのでしょう。

ところが、実質的に何の権限も与えられていない「名ばかり管理職」で10年単位の時間を耐えるだけの強さは持ち合わせていませんでした。

ことわざに「三十六計逃げるに如かず」というものがありますが、僕にとっては、無邪気に自分を傷つける存在から逃げるコトこそが唯一の生還の手段だったのです。

実は弱者だったと気づいた瞬間、その衝撃と落胆

自然界において「逃げる」というのは弱者が取る手段です。強者は逃げる必要なんかありません。いつでも「追う」か「追い返す」存在でいられるのです。

戦国の世では、完全にとどめを刺すために、あるいは騙し討ちするために弱者を装い「追わせて」策を弄し、知略をもって敵をしとめる強者もいました。

そんな中で、僕はどうだったかといえば完全な弱者でした。追うコトも、追い返すコトも、計略に嵌めるために追わせるコトもできませんでした。

「どこの職場でもそんなもんだ」「そんなコトいちいち気にしてたらキリがない」「いつかお前が偉くなって、そいつらを飛ばせば済むコトだろ」

かつての僕も上記と同じコトを思っていました。すぐ退職してしまう現場の介護士たちを冷ややかに見ていたのは確かです。

つくづくバカだったなと後悔するのですが、当時、そんな自分が強者のポジションにいると信じて疑っていませんでした。後年、その事実を痛いほど思い知るのです。

当時は無我夢中で「その先の人生」を必死で考え、決意を固めて転職を繰り返してきたのですが、今こうして満ち足りた心境の中、独り事務所で思い知るのはコレです。

「つくづくオレは弱い。どうしようもないほど脆弱だ。もっと早くソレを自覚していれば…」

実は、僕が脆弱な神経しか持ち合わせていないコトは過去の友人には周知の事実として、とっくの昔に知れ渡っていました。知らぬは本人のみという愚かな話です。

大学時代、サークルで友人のひとりから言われたコトがあります。その友人が下した評価は見事に僕という人間の本質を正確に看破していたのです。

「ゼロくんはいつも緊張してて、ピーンと張りつめてて、いつ切れちゃうんだろうって」

当時、友人たちに辛辣で苛烈な口の利き方しかできない莫迦者だった僕に対して(その自覚だけはありました)、「まあ、そうカリカリするなよ」と諭したのだと思います。

しかしながら、友人は婉曲に僕を諫めたのではありませんでした。そんな僕を心配し、友人としていたわってくれたのだと今は思います。

それもこれも、これまでの僕が「ピーンと張りつめて」いなければ生きていけない弱者だとは夢にも思っていなかったからです。コレでは気づくハズもありません。

自分が弱者と知ってもなお、サバイバルを生き抜かねばならない

ネット全盛における現代社会においては、シロウトでも手軽に高画質な写真や動画の撮影が可能。それをSNSにアップロードして強者をやり込める弱者も少なくありません。

現代はデジタルツールをフル活用して一発逆転を図るニュースを視聴する機会が多くなりました。僕個人としては、これらのできごとはいずれも良い兆候だと思っています。

理不尽に虐げられて泣かされるだけだった弱者が知略と勇気によってつかんだ証拠を全世界にブチまけるコトによって、かつては黙殺されてきた不祥事が白日の下に晒されるからです。

強者は平気でウソをつきます。弱者もまたウソをつきます。互いに自己防衛に終始するからです。

その結果、どういうコトになるのかといいますと、うやむやな水掛け論に終わる場合は常に強者に都合が良い結末を迎えるものです。そして弱者が排除されていく。

敵のシッポを掴む。たやすいコトではありませんが、デジタルツールの不朽とネット社会の醸成によって、こうした不条理が過去のものになれば良いと思っています。

とはいえ、あくまで弱者が反撃しうる手段の1つとして提示したまでの話であって、必ずそうしろと勧めるワケではありません。スマートに去る手段もアリだからです。

強者をやり込めた弱者は、もはや弱者とは見なされなくなります。理不尽な話ですが「敵に回すと厄介だ」と危険視されるリスクも併せ持つコトになるからです。

また、復讐した相手から報復されるリスクも負うコトになります。仮に報復が実行されなくとも、その精神的重圧はヒトによって非常にしんどいものになるでしょう。

そんな精神的重圧なんかゴメンだと思う僕は、離職するコトによって困るコトになるだろうという確信をもって復讐に置き換えるコトにしました。

当事者が何の掻痒も感じていないコト請け合いですが、弱者として生きねばならない宿命をイヤというほど自覚している僕は無難な選択をした次第です。

復讐する者は復讐されるリスクを受け入れた上で行うコト。「そんなしんどい思いまでして…」と思うなら別な方法を模索すべきです。

逃げるのは何も恥ずかしいコトではない。自分も相手も活かすための優れた選択肢の1つです。

 

弱者のための社会人サバイバル~弱者に向けた3ヶ条

弱者は、強者と同じフィールドに立ってはならない

「もっと高い給料をもらいたい」「昇進して自分の能力の限界を試したい」といった野心を抱く。それをモチベーションに、生き馬の目を抜く強者たちと生き残りをかけて闘う。

こうした生き方を貫いて良いのは強者だけです。自分を強者と思い違いをしている弱者がやれば、いつか蹴落とされて身を亡ぼすコトになりかねません。

あるいはかつての僕のように、自分が弱者だと判っていながら、強者が座るべきイスに着くコトを辞令で甘んじて受け取ったらどうなるか。いつかその任に堪えられず破滅するでしょう。

そんなコトになるくらいなら最初から辞令を固辞すべきです。冷や飯を喰わされてもかまわない。長い年月を経て、いつか弱者だったハズが強者にいたという話もないワケではない。

どうしても固辞しきれないケースもあるでしょう。その場合はまず挑戦してみて「やるだけやってみたけどダメだった。然るべきヒトにポストを譲りたい」と願いを出す。

それでも降格が認められないなら「願いを聞き入れていただけなければ、私自身が然るべき職場へ移るまで」と、暗に転職を仄めかしてもイイでしょう。

組織にとって必要とされる人材と認識されているのであれば、必ずや願いは聞き入れられます。

もっとも、僕は完全に嫌気が差していたので(酒の席で「上司として信用できない」と暴言を吐くようなヒトと同じ職場を去りたかった)再三の慰留を力づくで振り切りましたが。

弱者は、同じ価値観を持つ者と一緒に働くコトを至高とせよ

「愛する家族を養うために、少しでも高い報酬を得るため日々の仕事をこなす」という宿命にあるヒトには該当しない考え方かも知れませんが、生きがいがある仕事のためには必須条件。

弱者が働く喜びや楽しさとともに長い社会人生活を生き抜くためには、同じ価値観を持つ者と一緒に働ける職場に就くコトを最優先していただきたい。

同じ価値観というのは抽象的な表現ですが、ここでいう「同じ」とは、働くコトに関するすべての価値観が一致するコトを意味します。

参考までに僕が所属する小さな法人についてご紹介しますと、

綿密な情報収集と独自の尺度をもって、受け入れるべき利用者を厳選する

絶対的な信頼感を抱くコトができない事業所からの依頼には断りを入れる

良好な人間関係を築ける相手との仕事を再優先とし、収益は二の次とする

など、僕が半独立型社会福祉士としてリスタートする上で「絶対にこうしたい」と思うポリシーと完全に一致しています。

かつての前職では、それぞれのスタッフが我執と我欲の角突き合いが日常茶飯事。どこかで誰かの悪口の応酬。公然と(あるいは陰で)気に入らない相手を批判する殺伐としたものでした。

弱者は、「独自の常識」を頼りに居るべき場所を模索せよ

一般的に、巨大法人は巨大法人であるという、ただそれだけで社会的信用を得ているものです。

コレは歴然とした事実であり、小さな法人では認められない多額の公金が投入されたり委託事業をいくつも抱えたりしているものであります。

つまり、それだけ潤沢な財源を確保できるというコトであり、マジメにやればやるほど赤字になる計画相談支援給付費だけが唯一の収入でしかない小法人とはワケが違う。

種別を問わず、福祉業界で安定した待遇と高収入を望むのであれば、巨大法人に属するコトです。その2つを至上の価値観とするのであれば、小法人という選択肢は絶対に除外すべき。

一方、価値観を同じくする小さな法人ですと、巨大法人とは違い、やりたい仕事をやりたいヒトとやりたいように手がけるコトができます。

法人スタッフたちが僕というソーシャルワーカーを信頼し、全権を委任してくれているからこそ、今こうして最高に充実した日々を過ごすコトができています。

強者に生まれた者は多少の理不尽などモノともせずに自らの道を行くコトができます。邪魔者など実力で排除し、あるいは懐柔し、自らが望む頂点を目指すコトも夢ではない。

一方、弱者に生まれた者は強者のように生きるコトはできません。

そして、好待遇と高収入の職場なら相応の苦難が待ち受けているものです。事実、僕は何度となく挫折を経験しました。見えない傷を何度も負いながら、瀕死の状態で。

だからこそ断言したいのですが、弱者が社会人生活というサバイバル生活を楽しく充実したものにしたいのであれば、目指す方向性を等しくする者と一緒に働くコトです。

最後にいいたいのは1つ。「好待遇と高収入だけが人生ではない」というコトです。

コレが僕という弱者が3回の転職を繰り返して学んだ最大の教訓でした。幸せのキッカケはどこに転がっているか判らないのです。

今の僕にとっては、信頼できる仲間さえいれば、それに勝る幸せは他にありません。