胆嚢ポリープ闘病記②~腹腔鏡手術とその後のケア

胆嚢ポリープ闘病記②~腹腔鏡手術とその後のケア

去る土曜日の午後、腹腔鏡手術による胆嚢摘出を行い、それから1週間が経過しました。

結論から申し上げますと、手術は無事に終わり、回復に向かってここまで順調に過ごせています。僕が命を預けた執刀医は、プロフェッショナルとして最高の仕事をして下さいました。

摘出した胆嚢には10ミリを超えるポリープが2つある予測でしたが、フタを開ければ10ミリを超える胆石。術後、小さなジップロックに収めて枕元に置いてありました。

僕も初の転職を迎えた前職で腹部エコー検査を受けたのですが、その際に5ミリ単位のポリープが複数点在しているコトを知りました。ちょうど10年前です。

これから手術を受ける予定の方や、自覚症状があって受診しようかすまいか迷っている方に向けて、僕の体験談を綴りたいと思います。前回のブログと併せて読んでいただければ幸いです。

参考「胆嚢ポリープ闘病記①~腹腔鏡手術までのカウントダウン」→コチラ

本来であればもっと早くブログを執筆しようと思ったのですが、メスで切開した傷が思った以上に痛むので仕事以外のパソコンは封印。術後8日目にしてようやく回復できた次第です。

当然、エレキギターの練習もできずじまい。ストラップを肩にかけるまではイイのですが、右腕を動かしたとたんに臍のあたりがズキズキ痛むので、痛みが治まるまで諦めるコトに。

 

目覚めた時には病室のベッドに~腹腔鏡手術は無事に終了

事前説明のとおり手術は1泊2日で行わるコトに。午前10時に病院へマイカーで到着し(翌日、自分で運転OKとの話だったので)、担当看護師の促しで執刀医へ。

コロナウイルス禍に見舞われないよう、週末は最低限の買い出し以外は自宅にこもりきりの生活。仕事ではマスク着用に手洗いとうがいを徹底して健康管理に努めてきました。

38℃以上の発熱があった場合は手術が延期になるとの説明だったので、健康体で手術日を迎えたコトを執刀医へ説明し、予定どおり手術が行われるコトに。

問診後に案内された病室はまさにホテルそのもの。清潔感あふれる洗練された内装はまさに贅沢なシングルルームといった趣向。「ココで明日の朝まで過ごすんだな」と妙な感慨に。

また、大型の液晶テレビが備え付けられており、Wi-Fiも使い放題。ヒマつぶしに必要と思い持参した数冊の小説は不要だったのかも知れません(結局、そのうち1冊は読破)。

まずは病衣に着替え、担当看護師(退院までの間、24時間体制で看護師)から一連の説明を受け、手術の事前準備として水分補給と術後の痛みの緩和を目的とした点滴。

およそ2時間かけて点滴を終えると、いよいよ手術室への移動を促されました。手術着をまとった担当看護師の案内で徒歩にて手術室へ。

手術台に横たわると点滴から麻酔に変更され、全身麻酔の点滴を受けながらマスクを近づけられて「ゆっくり、何度も深呼吸してください」と執刀医の説明。

医療ドラマでは数回の呼吸でフッと意識を失う描写がありますので、僕もそのような感じで眠りに落ちるのかと思っていました。ところが睡魔は訪れず、大きく5~6回は深呼吸を…

枕元で担当看護師の話し声が聞こえてきて、目を覚ますと最初の病室に移されていました。毛布をかけてもらい、もうひと眠りしたいなと思う前に再び睡魔の来訪。

最初に意識を取り戻した際、病室のアナログ時計は約1時間半が経過したコトを知らせていました。次に目覚めた時には、そこから30分ほどが経過していました。

毛布が熱いコトもあり、担当看護師の許可もあったので、ベッドから起き上がり、病室のソファへ。心配した母親から電話があったようで、僕からかけ直すよう返答したそうです。

朝食を摂らずに来院するよう指示があり、手術で昼食も摂っていなかったので空腹を感じ、コレも事前説明どおりでしたが、夕食前のお菓子とコーヒーで腹ごしらえ。

体温と酸素濃度を計測し、特段の問題なしというコトで夕食まで自由時間となりました。まずは、母親や妹へ手術が無事に終わったコトを連絡し、法人スタッフや取引先にメールで順次報告。

そこから先は本当にゼイタクなひとときでした。まさに至れり尽くせりといった接遇をいただき、高級ホテルでのおもてなしを受けているかのような心のこもった対応。

夕食前に執刀医が病室へ。聴診器で確認後「内臓はきちんと動いています」とのコト。あとは翌朝、レントゲン検査を行い、問題がなければ午前9時に退院となります。

 

臍のあたりの違和感との闘い~眠れない一夜が明けて

全身麻酔の痛み止め効果が次第に切れてきて、軽く疼く程度だったのが次第にズキズキ痛み出し、担当看護師へコール。夕食で服用する予定だった痛み止めを先に服用するコトに。

夕食も最高のおもてなし。手術前の最終受診日で確認をしてもらったとおり、僕のスキな食べ物を把握したメニューが提供されました。牛肉うどん、焼きおにぎり、卵焼きでした。

全部食べて問題ないとのコトでしたので(よく考えれば、食べてはいけない分量が出されるハズはありません)、ありがたく完食しました。そして食後にはコーヒー。

病院食は塩気がなくて美味しくないとの不満が聞かれるものですが、全くそんなコトはありません。どれも、ダシの旨味が聞いた絶妙な塩加減でした。

個室なので他の患者さんへの気遣いは不要ですし、僕以外に入院患者がいなかったので就寝時間は自由とのコト。入浴はできないのでシャワーで汗ばんだ足を洗ってサッパリ。

そこからはテレビ視聴していましたが、時間つぶしのつもりで購入した「刑事コロンボ」の小説の方が面白くて、スマホで音楽を聴きながら読書に没頭。

そろそろ寝るかとベッドインしたのが午前0時近くでした。全身麻酔で熟睡したせいなのか眠気は全くなかったのですが、さすがに夜更かしはマズいかなと就寝した次第でした。

ところが、ここから早朝までの眠れない夜との格闘が始まったのでした。

痛み止めの薬を服用した後、それでも痛む場合を想定して頓服薬を出してもらっていたのですが、痛みがぶり返してきたので服用していました。

そのおかげで激痛はなかったものの、メスで切開した2つの傷のうち臍のあたりに、くすぐったい違和感が耐え切れず、腹筋が動く痛みを極力回避しながら体位交換。

コレが激痛ならば担当看護師を呼んで処置してもらったところでしたが、痛みではなく違和感で、しかも直接臍をガーゼで押しつけている痒みのような不快感。

あまり薬を飲み過ぎるのも良くないかと思い、「我慢するしかないか」とあきらめて睡魔が訪れるのを待ちましたが、おそらく実質2時間も眠れていませんでした。

そして午前5時半過ぎ、陽光が差し込んできた頃合いをみて起床するコトに。

 

腹筋が動く痛みとの格闘の日々~2回目の受診日まで

予告どおり執刀医が病室を訪れ、問診と聴診器による診察。「これからレントゲンを撮ります」と促されて徒歩で移動。

撮影後のレントゲンを確認し、診察室で腹部エコー検査を実施。あらためて手術が成功したコトを告げられました。あとは1週間後の受診まで痛み止めと抗生剤を服用して回復を待つのみ。

執刀医の説明では、摘出した胆嚢には半固形の緑色に変色した胆汁が詰まっていたとのコト。相当、炎症が進行していたコトになり「これだと痛いよね」との話に。

炎症が進行すれば胆嚢が化膿し、激痛でのたうち回ったり手術が難航したりと最悪な結末を迎えるところでした。センセイの勧めに従ってホントに良かったと安堵。

腹腔鏡手術で切開したのは臍のあたりとみぞおちの2ヶ所。臍を完全にガーゼで塞ぎ、2ヶ所とも防水テープで固定。のちにコレがさらなる苦難を呼ぶコトになるのですが…。

執刀医の診断を受けた後、担当看護師から朝食が提供されました。コレもまたちょっとゼイタクなホテルの洋食なみの洗練されたメニューでして、当然のように完食。

9時過ぎには会計可能とのコトから、それまでの間は待機。帰り支度をしながら、2冊目の小説を読み耽っていました。ピエール・ルメートル著の「その女アレックス」を。

ちなみに高額医療費の限度額適用認定証を入手して病院へ提出していたので、適用後の支払いを。それでも11万円を超える出費となりました。退院後、稼がねば。

会計を済ませて一礼し、痛む腹筋をいかに動かさずにクルマへ乗り込むか苦労しながら、やっぱり痛さは回避できないと諦めて乗車。上体を屈ませて脚を上げる動作が良くないのでしょう。

有給休暇を1日だけ取得して手術3日目から職場復帰したのですが、メスを入れた痛みは想像以上。安静にしている間は問題ないのですが、腹筋が動くと鋭い痛みが走る。

人間、何気ない動作であっても無意識に腹筋を使っているものです。上述のクルマに乗り込む動作、イスに着座する際と立ち上がる際の動作、ベッドに腰を下ろして臥床するまでの動作。

最悪なのは咳やくしゃみをした際の痛みでした。極力、咳やくしゃみをしないようにしたいのですが、生理現象なので如何ともしがたい。痛み上等で手早く済ませるしかありませんでした。

また、服装にも痛み対策が必要で、一見ラクに思われるジャージはゴムが締まるので意外と痛い。結局、普段、着用しているチノパンのベルトを外していました。

普段ボタンは外しっぱなしにして、デスクワーク時はイスに腰かけて上体が屈曲するとジッパーのあたりが触れると痛いので全開にしていました。行儀の悪い話で恐縮ですが。

こうしてブログを執筆している今日、ようやくジッパーを上げるコトができるように。

切開創の痛みは日を追うごとに緩和していき、2回目の受診時には咳やくしゃみをしてもほとんど痛みがなくなりましたが、他の問題が日を追うごとに深刻化。

それが、手術後に傷を固定していた防水テープによって起こる皮膚のかぶれでした。

防水テープですので短時間のシャワー浴は退院当日からOKと言われておりまして、汗ばんだ全身をシャワーで流してスッキリしたのですが、テープ下の皮膚が数ヶ所水膨れに。

手術後5日が経過した頃でしたが、切開創を塞いでいたガーゼ周辺に大きな水疱が1つ。そのうち半透明の赤い色が混じり出し、痛痒さが次第に強くなりガマンできなくなりました。

抗生剤と痛み止めは4日分だったので残りがなく、早めに病院へ行って確認してもらうコトに。

あいにく執刀医が不在で内科の医師に確認してもらったところ、切開創ではなく、テープ負けした皮膚が水膨れを起こしたものと判明。かゆみ止めの薬を処方してもらい経過観察。

そして昨日、予定の受診へ。グロテスクな表現が苦手な方もいると思われますのでサラッと描写をしておきますと、切開創は完全に塞がっており、テープでかぶれた水膨れに軟膏を塗って終了。

レントゲンと腹部エコー検査の結果も異常なしとのコトで「今日から浴槽に浸かってイイですよ」とのコト。あとは1週間後の受診で問題がなければ治療終了となります。

ちなみに、手術の回復のために肉体の相当なエネルギー消費があるらしく、運動できない状況にもかかわらず、毎晩のように快眠を貪るコトができました。

 

病気からの生還~「痛みのサイン」には忠実に

世の中には、生死をかけて病魔と闘っている患者と命を救うべく闘う医療関係者がいて、僕などはそういった患者からみれば、ほんのかすり傷同然なのかも知れません。

手術したといっても翌日には退院し、翌々日からは社会復帰できたほどですから。

しかしながら手術を恐れて治療を拒否し、病院へ行かなかったとすればどうなっていたでしょうか。考えるまでもありません。

重症化して社会復帰が遅れたり、それに伴い高額な医療費がかかったり、ヘタをすれば天寿を全うできずに無念の最期を遂げていたに決まっています。

コレが不慮の事故や不治の病など、本人の努力ではどうしようもない天命だったというコトならば、そこで諦めもつきますが、本人の意識でどうにでもできた不慮の死であれば悔いが残ります。

僕は自分ひとりで生きているワケではありません。社会的責任や障害者ケアマネとして果たすべき責務を放棄し、相談者や支援者の皆さんに迷惑をかけるコトになります。

手術が必要な状況になってしまったのは残念ですが、それでも早期発見かつ早期治療につながったコトで、完全復帰まで時間がかかりますが、健康を取り戻すコトができます。

今回の件から学んだ教訓を最後に綴っておきたいのですが、それはタイトルどおり「痛みのサインに忠実であれ」という一言に集約されます。

2月中旬、みぞおち右あたりの肋骨最下部の真裏あたりに針で刺すような鋭い痛みを感じた日。

僕は早期治療を進める法人スタッフの後押しのもと、必死で情報収集に努めて病院を探しました。そして、手術が必要なほどダメージを負っているコトが判明した肉体の修復に努めた。

風邪のように自己治癒力で治せる痛みなのか、それとも医療の力を借りなければ治せない痛みか。それは自分自身が一番よく判っているハズです。太古から受け継がれた本能が知っている。

これからの人生でも再び手術が必要な病気に見舞われるかも知れない。できれば回避したいですが、不可抗力で病に倒れるコトだってある。

日々の健康管理は言わずもがなですが、病魔に襲われた時、自己防衛ができ得る唯一にして最良の手段はひとつ。

自分のカラダが発する命の警告、すなわち「痛みのサイン」に忠実に従うコトです。