かつて超えられなかった境地に到達したギタリストが見る景色とは

かつて超えられなかった境地に到達したギタリストが見る景色とは

ギターキッズの憂鬱と挫折、ほろ苦い思い出

汽車通学をしていた高校時代、同じ路線に乗っている縁で知り合った同級生のバンドに加入させてもらった短い期間、その縁でさまざまな洋楽のハードロックやメタルの存在を知りました。

中でもイングヴェイ・マルムスティーンは、当時から30年が経過した現在もなお聴き続けている、そして飽きずにコピーに挑戦し続けている稀有なミュージシャンであります。

当ブログでも、僕が好きなだけでなく、誰もが認める超絶技巧のギタリストは洋の東西を問わず、折に触れて紹介してきました。

速いギタリストや巧いギタリストは数多くいました。しかしながら、「美しい」と思わせる旋律を奏でるのは、僕にとってインギーことイングヴェイ・マルムスティーンただ独りでした。

若かりし頃は自身の才能(正確には当時の演奏力)とインギーの超絶技巧との格差に絶望し、得意のヴォーカル(あくまでエレキギターよりはマシという程度)を活かした弾き語りに転向。

しかしながら、やはり僕はエレキギターを弾くのがスキなんだと折に触れて自覚させられる機会があり、今や同業者を中心に構成されたアマチュアバンドでエレキギターを弾いています。

 

上達の早道は「バンドを組んでステージに立つ」

バンドに所属する以上はセッションがあります。無所属で適当に、弾きたいところだけ弾くというワケにはいかず、最初から最後まで弾けるようになるコトを強要されます。

また、自分より巧いメンバーからアドバイスを受ける機会にも恵まれるので、我流で自由気ままに弾いていた頃よりも正確無比な演奏に磨きがかかります。

こうしてバンドを組みながら定期的に練習を積み重ね、自主練習も1曲を最初から最後まで弾けるコトを追求するワケですから一匹オオカミだった頃には考えられない進化を遂げました。

新型コロナウイルス禍によって、自主練習に特化した日々を過ごすしかない状況下に諦念の境地を見出すしかないのですが、それまでは1曲を弾き切るコトに全力を傾けていました。

バンドを組んでいない頃は自由気ままでテキトーに、弾きたい曲のイントロやサビ、そしてギターソロをコピーするだけで満足していました。最初から最後まで弾ける曲はほぼ皆無。

ところが、バンドを組んで定期的に演奏を披露するようになれば、自由気ままでテキトーにやるというワケにはいきません。それがイヤでも演奏スキルを向上させるのです。

すなわち、ノーミスで最初から最後まで弾けるようになるコトを自身に強要するようになる。

バンドメンバーが僕の演奏ミスを咎めるようなコトは一切ないのですが、ステージで恥をかくのは僕自身です(アマチュアバンド風情が恥というのは主観的な感情に過ぎません)。

そのため、必死で1曲を最初から最後まで弾けるように練習するコトになるのです。

この心境を学生時代の受験勉強に喩えると判りやすいでしょうか。満点を取るためには150点を取るくらいの予習復習をしなければならないという心境であります。

それでメシを喰っているプロでもあるまいに、自分が恥をかきたくないという思いでさんざん苦労を重ねて練習を重ねたおかげで、結果としてエレキギター弾きとしてのスキルアップに。

その恩恵を被ったといえるのがインギーのコピーでした。絶対に弾けるワケがないと絶望していた、インギー代名詞の2弦スウィープや3弦スウィープができるようになってきたのです。

そのあたりの経験を記事にしたコトがありましたが、その先の完コピを目指し、超絶技巧の速弾きをコピーすべく地道な練習を続けてきました。

その結果、比較的インギーの楽曲ではコピーしやすいといわれている3弦スウィープとファンクなグルーヴ感が魅力「DEMON DRIVER」のギターソロをモノにしつつあります。

ここまで30年もの長い時間を要しましたが、諦めずに弾き続ければモノにできるという実感と自信を得るコトができました。

「好きだからやめられない。その繰り返しの末にバンドを組み、ステージに立ち続ければ絶望したその先の景色を見るコトができる」

今の心境を、色々な意味で将来に絶望していた16歳の自分に語りかけたいくらいです。

 

超えられないと諦めていた先に到達した境地

その境地に達すると、それ以前には全く視認できなかったさまざまな景色を見るコトができます。「一流は一流を知る」は烏滸がましいですが、プロが絶賛される所以を理解できる。

また、どれも同じにしか聴こえなかった超絶技巧に個性があり(理解レベルを超えると、その先を評価するコトができないのです)、ギタリストごとの持ち味を理解できるように。

さらに、例えばピッキング1つにしても、曲ごとにニュアンスを弾き分けるコトができます。

「一流のロックギタリストは例外なく、ムダな力が入らないリラックスしたピッキング」

「ピッキングのニュアンスで歪みを再現できるし、軽いピッキングと弱いピッキングは違う」

「一流のロックギタリストのピッキングを後ろから見ると止まって見える」

必要最低限にして過不足ない物理的な力を、自由自在に意のままに、ピックの先端に込めるコトができる。一球入魂ならぬ一弾入魂のピッキングがモノにできるのです。

フィンガリングも然り。僕は手が小さく、それゆえにストレッチが苦手だったりネックシェイプによって弾きづらさを痛感したりと悔しい思いをしてきました。

その実感は、思うように弾けないコトへの言い訳だとは思いません。そもそも欧米人に弾きやすいように造られているエレキギターが僕のような短躯の東洋人に優しいワケがない。

しかしながら、エレキギターのニーズ「正しく扱ってほしい」「こういうふうに弾いてほしい」という声に耳を傾け、その声に応えるコトができるようになります。

そうなると、ネックシェイプの違いやスケールの違いを飛び越えて、そのエレキギターごとに弾き分け方がカラダで理解できるようになる。

まるで個性が違う、例えばフェンダーだろうがギブソンだろうが、それぞれの勘所がつかめる。

エレキギターの個性は千差万別、自分にとって弾きやすい至高の1本を探り当てるコトによって、それまで弾けなかった憧れの速弾きができるようになる場合があります。

一方、その先の境地に達すると、他のエレキギターに持ち換えたとしても、憧れの速弾きを具現化できるようになるのです。

いちど弾けるようになった超絶技巧は、他のエレキギターでも弾けるようになります。とはいえ、その境地までに到達するのがロックギタリストなら誰もが通る困難な道のりなのです。

ゆえに、自分にとって弾きやすいエレキギターとの出逢いこそが「超えられなかった一線を超えるための最短距離」と確信しています。

久方ぶりにエレキギターを弾きたくなり、フラリと寄ったわがマチの楽器店で、フジゲン製のテレキャスターのコピーモデルと出会ったあの日のように。