転職3年目に突入、「3回目の独立記念日」を迎えて
- 2020.10.03
- 転職キャリア

このブログを始める2ヶ月ほど前になりますが、平成最後の10月1日は僕の人生にとっても最も意味のある1日でした。
換言するなら、独りケアマネとしての独立記念日でもあります。
もっとも、完全に単独で働いているワケではなく、僕の人柄や積み上げてきた知識・経験・技能を買ってくれた生涯のパートナーたちとの共同経営なのですが。
以上の経緯で、当ブログで「半独立型社会福祉士」と自称し、障害者ケアマネこと相談支援専門員としての備忘録の意味合いでブログデビューしました。
光陰矢の如し、3度目の転職を経てようやく天職に巡り合えた次第です。
僕を見出してくれた仲間たちは、僕を全面的に信頼し、「稼いでくれればゼロさんの好きにやってイイから」と、僕の自由裁量権を最大限に認めてくれています。
おかげさまで事業経営は順調そのもの。新型コロナウイルスで世の中が混沌としている中ですが、契約件数も右肩上がり、過去最高の収益が期待できる状況にあります。
わがマチから年間4,300万円に及ぶ巨額な委託事業を請け負う巨大法人から小規模NPO法人への転職。確かに待遇面だけをみれば大幅なマイナスがありました。
大企業と中小企業では基本給も社会保障も格段の違いがあります。福祉業界も例外ではない。
しかしながら、それらを補って余りある充実した日々を送っています。とにかく、仕事に行くのが楽しくて仕方がない。残念ながら、そう思える職場は過去に1つもありませんでしたので。
自分だけが食っていければ良い気楽な身分ですし、負け惜しみだろうと思われるかも知れませんが、僕が活き活きと働いているコトは同業者の皆さんが一番よく判っています。
年収ダウンと引き換えに、カネ以外のすべてにおいて満足している3度目の転職が大成功を収めた現在、過去を振り切った後悔など微塵もありません。
では、なぜ心の底からそのように思うコトができ、生涯現役で今の仕事を続けていけるという確信すら予感できるのか。
3回目の独立記念日を迎えるコトができた振り返りとして、その理由を綴りたいと思います。
転職が成功した理由について振り返ってみると
社会人として20年以上を福祉業界で過ごし、3回の転職を経て4つの職場を経験した振り返りで最も強く思うのは、「できれば転職はしないに限る」であります。
結果論ですが、1つの職場を首尾一貫、初志貫徹で務め上げるコトが最上の働き方であります。
いちど転職したというコトは、人生の選択をいちど見誤ったというコトに他なりません。転じて、僕は3回も見誤った愚者であります。決して僕と同じ轍を踏まないように。
いちど就職し、年単位で腰を据えて働いてみないと判らないコトは確かにあります。社会人経験がゼロの状態で就職活動をするのですから、やむを得ない側面はあります。
就職は、学校でのテストのように、あらかじめ決まっている正解を導き出すものではありません。まだ正解が決まっていない答えを手探りで求めるようなものです。まさしく五里霧中。
それゆえ、転職はしないに越したコトはないのですが、ムダに転職を繰り返した愚者として、初志貫徹のエリート組とは違った人生勉強の機会が得られました。
つまるところ、居心地が良くて長期間にわたって働ける職場は「適性や才能を活かせる場であるかどうか」という一言に尽きるのであります。
そしてもう1つ、管理職としての適性や才能がないという自覚があるなら、どんな手段を講じても管理職にならないコトです。
現場至上主義を貫くか、「辞令を拒否するならクビだ」と言われるようなら、「だったら辞めます」と速攻で転職してしまいましょう。望まぬ昇進など、百害あって一利なし。
給与体系ではなく、己の適性や才能を活かせる場かどうかを調べよ
歴史小説の大家、司馬遼太郎先生は、ご自身の傑作小説の1つ「項羽と劉邦」で、「才能は表現を求めてやまないもの」と綴っておられます。まさに金言であります。
多くのヒトが勘違いしているのが、才能さえあれば必ず成功を収められると妄信している点です。ハッキリ断言します、大間違いもいいところです。
「一芸に秀でる」とは言い得て妙でして、たいていのヒトは才能があったとしても発揮できる分野が限定されています。古代中国史を振り返ってみると、史実からソレがよく判る。
戦乱と混沌に彩られた古代中国史においては奇跡的な400年もの長きにわたり存続した漢王朝を築き上げた劉邦。彼が圧倒的強者の項羽を討てたのは臣下に恵まれたからであります。
その中で特に名高い「漢の三傑」と呼ばれる蕭何・張良・韓信ですが、彼らが存分に活躍し、己の才能を如何なく発揮できたのは、劉邦と同世代に生まれ、劉邦のもとに仕えたからです。
蕭何や張良が将軍として武器を携え、戦場に赴いたとしても早々に討ち取られていたでしょうし、韓信が政治的な権謀術数や食料補給の任務に就いたとしても絶対に成功しなかったハズです。
蕭何は官僚として、張良は参謀として、韓信は将軍として、それぞれ与えられた天賦の才を発揮できる場にいたからこそ後世に名を遺す名臣になり得たのです。
そこまで話が壮大になる必要はないのですが、要は、転職先が自分にとっての適材適所であるかというコトを冷静かつ正確に見極めなければならないというコトです。
福祉の仕事を例にすれば、現場で介護の仕事をするケアワーカーとして適性があったり才能を発揮したりするヒトは、僕のようなソーシャルワーカーの仕事が苦痛で仕方ないハズです。
逆もまた真なりでして、僕が直近の職場を3ヶ月で辞めてしまったのはソーシャルワーカーがケアワーカーになろうとして(それを期待されて)潰れてしまった悪しき例です。
あるいは、高齢者福祉に適性や才能を発揮するタイプは障害者福祉の仕事が苦痛で仕方がない。
現場至上主義でしか生きられないなら、絶対に管理職になるな
福祉の仕事に限った話ではないのですが、現場至上主義で貫き通す生き方か、管理職への道を行く生き方か、その見極めも慎重に行う必要があります。
職業選択の自由こそあれ、活躍できる場は限られている。家族を喰わせるためには止むを得ないといった事情があれば別ですが、転職においては収入よりも優先すべきという話はしました。
次に僕が声を大にしていいたいコトは、たとえ同じ職場であったとしても、それまでこなしてきた現場の仕事と管理職の仕事は全くの別物というコトです。
そして、管理職という仕事は、未経験者には絶対に判り得ないほど精神的負荷がかかる過酷な仕事なのです。その面における適性や才能があれば別ですが。
適性や才能がない僕のような人間が管理職を全うしようとすれば2つの選択肢しかありません。
すなわち、職務を全うしようと疲弊と摩耗を繰り返してリタイアするか、誰に何をいわれようが、職務を放棄して終始一貫、知らぬ存ぜぬの態度を決め込むかのどちらかです。
後者のタイプは割と多くいます。僕がかつて仕えた上司の1/2はこんな感じのヒトたちでした。それでも、心の病を患い現役復帰が叶わなくなるよりマシといったところなのでしょう。
知らぬ存ぜぬタイプの上司にもさまざまなバリエーションがありました。大別すると以下の3つに集約されるでしょうか。
暴言&怒鳴る、今のご時世なら即行でパワハラ認定が必至な「恫喝タイプ」
部下が何か訴えても、何の対策も講じずノラリクラリ躱す「馬耳東風タイプ」
部下への意見を求めず、部下からの意見はすべて却下する「唯我独尊タイプ」
過去には心から納得して仕えるコトができる上司も数名いましたが、だいたい以上のどれかに該当しそうな上司しかいませんでした。
ワースト順に評価するなら、最低なのが恫喝タイプでしょう。以前もブログでネタにしましたが、この手の輩は自分よりも強い立場を相手にするとヘラヘラ卑屈になります。
次に悪いのが馬耳東風タイプ。唯我独尊タイプは最低限の仕事をしているだけマシでしょうか。
では、歴代上司をさんざんこき下ろしている僕は一体どうだったのかといいますと、軽蔑に値する上司にはなりたくないと無能無才が疲弊して潰れてしまったパターンです。
知らぬ存ぜぬ。無責任な話ではありますが、決して気楽ではありません。
実は、知らぬ存ぜぬを最後まで押し通すためには、想像以上に強靭なメンタルが必要なのです。
品のない表現をしますと、組織や保身のために部下の心情を切り捨てる非情さ、自分自身への誹謗中傷や悪意を跳ね返せるだけの図太さがなければ管理職は務まらないのです。
* * *
そして僕は今、独りケアマネとして管理者と相談支援専門員を兼務しています。すなわち管理職としての本来業務を一切しなくて良い立場を勝ち得るコトになりました。
部下がいない、いわゆる名ばかり管理職のようなものですが、僕自身を管理すればイイだけの話。障害者ケアマネとして結果を出している限り、職務怠慢を責められる謂れはありません。
些細なミスが多い部下にイライラするコトもない。部下の不始末に頭を下げる必要もない。無礼で無神経な部下の暴言でハラワタを煮えくり返らせるコトもない。まさに至福のひととき。
もちろん、すべての責任は自分に帰ってきます。ですが自己責任なら納得もできます。
3度目の独立記念日を迎え、思う存分に自由を満喫できる喜びを知った今、どんな好待遇だろうが二度と「大企業」に戻る気などありません。
以上、放浪の末に自由気ままな一匹オオカミになった障害者ケアマネの3年目でした。
-
前の記事
エレキギターの速弾き「流れるようなフレージング」を会得する 2020.09.13
-
次の記事
コレで弾ける「BAD FEELING」 2020.10.30